『きんしんかん:性加害のニワトリとたまご』

ある本がきっかけで、逃げるように東京に移住した日系アメリカ人の斎氣心。初めて心を開ける人に出逢うも、彼にDVをしてしまう。確執が長年ある母親のような自分に絶望した。原因は、母の「躾(暴力)」と女性ホルモンだと考え、低容量ピルYAZを服用したが、副作用で臨死した。古今東西の代替医療による精神治療を試行錯誤する中、幼児期に父親から受け始めた猥褻を自覚する。それでも問題が雪だるま化するため、両親に虐待の事実を問いただした。しかし己の被害を自他に明示できた瞬間、自分もきょうだいに性的加害をしていた記憶が蘇り...

3) 『ザ・レイプ・オブ・南京ー第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』/アイリス・チャン著

p6 まえがき

中国の首都での日本の暴行は恐ろしいものだった。兵士の大量処刑と数万人の市民の殺戮と号館は、あらゆる戦争法規に違反して発生した。さらに驚かされるのは、それは公然たる暴虐であり、明らかに意図された凶行だった。それは国際的な監視者たちの眼前で実行され、彼らの生死の努力を全く無視して進行した。

 

p7 南京の人々を暴挙しようとする国際的な活動を指導したドイツのビジネスマンでナチ党員ジョン・ラーべの日記はチャン女史が発掘した文献の一つである。

 

南京大虐殺は西側の世界ではほとんど忘却されていた。そこに、この本の重要性がある。「忘れられたホロコースト」と呼ぶことでチャン女史は、第二次世界大戦における何百万人もの罪のない人々のヨーローッパでの殺戮とアジアでの殺戮の連携を描き出す。

ーウィリアム・C・カービーハーヴァード大学 近代中国史教授 世界史学部学部長

 

p9 人間の同じ人間に対する残忍性の記録は長々と続く悲しい物語である。しかし、恐怖の物語の無慈悲さの度合いにも等級があるとするならば、その強烈さと規模において、第二次世界大戦期に起きた南京大虐殺に匹敵する残虐行為は世界史上にわずかしかないだろう。

 

p10 1937年12月に南京が陥落したとき、日本軍の兵士たちは世界史的にもほとんど類例のない残虐行為の狂宴をくりひろげ始めた。何万人もの聖人が駆り立てられ、家畜のように市外に集められ、あるいは機関銃でなぎ倒され、あるいは健闘の練習だいにされ、あるいはガソリンの浸して生きたまま焼かれた。何ヶ月もの間、市内には死体が積み重なり、腐敗して、死臭が漂っていた。

 

p11 本書の目的はこの出来事を歴史上のもっとも邪悪な行為として立証するために数量的な記録を確認することではなく、この出来事を理解することによりそこから教訓を得て、警告を発することができるようにすることである。

 

p12 南京大虐殺は、虐殺された人々の数だけでなく、彼らの多くが、恐ろしく悲惨な状態で死んでいった事実においても、起草されなければならない。中国人の男性は、十頭の練習や、銃剣の練習や、首切り戦争で殺害された。強姦された中国人の女性は二万人から八万人に上ると見積もられる。多くの兵士は強姦に飽き足らず、女性の腹を裂き、胸を切り取り、生きたまま壁に釘付けにした。家族の見ている前で、父親が娘をお菓子、息子が母親を犯すことを強いられた。生き埋めにして、去勢し、内臓を切り刻み、火あぶりにするといったことが当たり前のように横行しただけでなく、舌を銅鉄の

鉤にかけて吊るしたり、腰までを生き埋めにした人がシェパード犬に引き裂かれるのを見物するというような、一層悪魔的な拷問が行われた。そのおそましい光景は当地に滞在していたナチ党員をも戦慄させ、「けだもの集団」の所業と言わしめた。

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2) 『沈黙をやぶってー子どもの時代に性暴力を受けた女性たちの証言+心を癒す教本』/森田ゆり編著

私は4歳以降、父親から強制猥褻などを受け始めてから人生が狂い、30年以上経った今も狂ったままです。
 
自分に起きた性暴力が、他の子どもに起きないようにするにはどうすればいいか、とよく考えます。
 
まず、加害者を撲滅することが必要ですが、そのためにも、被害者が最低限、自分の身を自分で守れる方法を知ることも重要です。
 
性器をはじめとするプライベートパーツや水着ゾーンと言われる部分を他人に見せない・触らせない・また他人のを見ない・触らない。嫌なことをされたら嫌だを言い、逃げて、誰かに話す。言葉を話せるようになれば子どもにも最低限、できる自己防衛。
 
私はこれを学びたかった。
 
なぜなら、加害者は誰も知らないうちに、子どもを襲っているからであり、その加害者が子どもにとって最も身近な存在である可能性が高いからです。親、親戚、兄弟、近所の知人、教員などなど。
 
性犯罪の加害者は襲う前に、子どもを飼育(グルーミング)し「信頼関係」を築くケースが目立ちます。そして子どもに秘密を守らせようとする。
 
私の場合、「誰にも言うなよ」と父親から直接的に言われた訳ではありません。父親が一足先に母親を言いくるめ、その反応に何重にも混乱した私は何も言えなくなってしまったのでした。
 
自分が感じた気持ち悪さ、恐怖心、混乱、不信感などの感覚と、それまで自分が知っていた父親のイメージが全く結び付かなかった。それに、私が体験した強制わいせつについて、母親と父親が「良いこと」と思っていると思い込まされ、私は相手を疑うよりも、自分自身を疑うという癖がつき始めました。
 
この時に、父親がしたことは「いけないこと」と事前に教わっていたら、私は母親に助けを求めやすかっただろうと思う。母親に「よかったね」と言われて「え?気持ち悪かったよ?」と訴えられたか、少なくとも自分自身の感情や感覚を疑うことにはならなかったと思う。
 
私が初めての性被害を受けた時から30年以上も経った今も、毎日、苦しんでいるのは、被害を受けた後、誰にも助けを求められず、何度もセカンドレイプに遭い、その犯罪をたった一人で抱え込まざるを得なかったから。安心できるはずの家庭の中で心が休まることがなかったから。何が何だかわからないまま、とにかく、十字架を背負いながら生き延びることしかできなかったから。
 
それは生き地獄。親に見習い、気づけば他人を傷つけてしまう自分が嫌だ。
 

p7 はじめに

性暴力が他の暴力形態と異なる特性の一つは、そこにまつわる秘め事=沈黙の匂いです。

 

「誰にも言うなよ」と加害者が強いる沈黙。被害者が守ろうとする沈黙、として被害者が語れない環境を作り出している社会全体が培養する沈黙。この三者が堅固に維持する「沈黙の共謀」こそが性暴力のきわだった特性です。この「共謀」から脱落して沈黙を破った被害者は加害者からの仕打ちのみならず、社会からの冷酷な制裁にさらされなければなりません。

 

私が

 

p8 「あの人がそんなことするはずないでしょ」と信じてもらえず、たとえ信じてもらえたとしても「犬に噛まれたと思って忘れなさい」と大したことではないとみなされ、さらには「あんたが誘ったんじゃないの?」と逆に罪の責任を着せられてしまう

 

だから被害者は黙ってしまいます。被害者が黙っている限る加害者は安泰です。社会は何事もなかったと装って、幸福な家族を、安全な日本を演じ続けることができるのです。こうして「沈黙の共謀」は維持され、性暴力が日常的にくり返されていくのです

 

p9 もしこの本を読んで陰湿なやりきれなさだけを感じた人がいたら、それはその読者の関心が暴力だけに限られていて、暴行を受けた人が、もう一度晴れやかに生きようと願望しているいのちの働きにおよんでいないからなのです。

 

p10 この本を一読して、なんだこの程度のことで痛いだ生きづらいだと言っているのか、世間にはもっと酷い目にあっても黙って生きている人間がいっぱいいるんだ、と思う人もいるでしょう。......性暴力の深刻レベルのコンテストではないのです。被害者の精神的傷跡の深さ、浅さを周囲の人間が「外傷はないんだから忘れてしまいなさい」「一度だけだったから大してことはない」「性交までいかなかったから、騒ぎ立てることはない」などと言って勝手に決めることは、実は加害者が自分の行為を正当化する口実と見事に一致するのです。「外傷を与えてるわけじゃないからいいだろう」「一度だけの過ちだから許される」「性交を要求したわけじゃないんだ」と。このような加害者の論理に最も容易く社会が同調してしまうのも性暴力のきわだった特性です。被害の深さ、浅さは、被害者のその後の人生にその暴行体験がどのような影を落としたかによってしか、はかる基準はありません。

 

p14 子どもへの性暴力を被害者の視点から分析し解決策を練っていくことーようやく性暴力を社会問題としてとりあげる気運が生まれてきた日本で、今もっともなされなければならないことは、この被害者の視点の確立です。

 

いったい何を性暴力と定義するのか。その決定に被害者の声は反映されていません。性暴力を取り締まる法律は被害者の体験とはかけ離れたところで成立したものです。強姦を扱う警察官も裁判官も被害者の視点に立ったら強姦に対する対応がいかに異なったものになるかなど考えもおよばないのでしょうか。

 

「やめよう夜道の一人歩き」といった防犯キャンペーンが、現実の強姦防止には何の役にも立たないことは、被害者の声を集めればすうにすぐにあきらかになることです。被害者が大人であれ子どもであれ、強姦の圧倒的多数のケースが夜道で知らぬ者から襲われるのではなく、屋内で知人から襲われるからです。さらに、夜道の独り歩きをする女や子どもこそが悪いといわんばかりのこのキャッチフレーズの暗示する責任のなすりつけは被害者の立場を全く無視している好例です。

 

p15 子どもへの性暴力を被害者、すなわち子どもの視点から分析すると、まず第一にあきらかになることは、性暴力が大人ー子どもという社会的力関係の不均衡という社会的条件の上に培養される犯罪だということです。

 

p16 子どもに対する性暴力とは、暴行の程度にかかわらず、加害者が誰であるかにかかわらず、有形・無形の社会的力関係で圧倒的に上に立つ大人が子どもに大して強制し押し付ける性行為であると定義できます。

 

p17 性暴力にかかわる言葉を被害者の視点から定義し直し、確立していく仕事は、日本では今はじまったばかりです。その仕事の主体となるのは、心理学者ではなく、犯罪学者ではなく、弁護士ではなく、評論家ではなく、性暴力を体験した人たちにほかなりません。性暴力の体験者、あるいはその立場に100パーセント立てる人こそが、性暴力の本質をもっともよく知っているのです。

 

 

 

25) レイプ対策:護身術◎

護身術は効果的なレイプ対策になるのではないか

 

今日もシャワーを浴びた。2日連続。

 

汗でベトベトになった体を水で流すことが「気持ちいい」のはわかっていた。

 

でも、潜在意識はその「一時的な気持ち良さ」のために、体を清潔に保つことで強制わいせつや強姦される確率を上げ「永遠の気持ち悪さ」を味わわなくてはならないリスクは高過ぎた。

 

しかし、性被害の証言を数多く読んだことで、レイプ犯によっては、狙った獲物が風呂に入ってなかろうが、性病を患っていようが、犯行に及ぶときは犯行に及ぶ。鬼畜には不潔という概念がないのか、あったとしても犯行を思い止まらせる要因には必ずしもならないらしい。

 

要するに、体を不潔にして身を守ろうとしても、犯されるときは犯されるのが現実。

 

ならば、犯されることに怯えて、自分の衛生面を日常的に犠牲にするよりも、もっと効率的な方法で自己防衛する方法を考えた方がいい。

 

護身術、少林寺拳法とか。あまり力を入れなくても、相手を傷つけなくても身を守れそうだ。

 

少林寺拳法を身につけたら、痴漢や強姦を退治できる確率が上がるのではないかという希望が芽生える。

 

「自分の身を自分で守れる自信」がつくだけで自己肯定感も育ちやすくなり、人生そのものが変わりそう。

 

性教育とセットで義務教育にすべし。

 

とりあえず、資料を取り寄せてみた。

 

www.youtube.com

 

www.shorinjikempo.or.jp

23) 「お金も愛もないまま死ぬ覚悟」

「愛も金もいらない」

「愛も金もないまま人間の基本なんじゃないかな」

成田悠輔

 

六本木辺りではお金ある人たちがマウントを取り合っていてつまらないが、足立区とか台東区にいる人たちの話を聞いていると悲惨な話が聞こえてくるという成田悠輔氏。

 

「親の遺産が150万だけ残って、それを奪い合って兄弟が血みどろの戦いを繰り広げるそういう話ばっかり」

 

「聞いていると、人間っていうのはやっぱりお金も愛も手に入らないまま悲惨なまま死んで行くんだなって覚悟が決まる感じで。......しっかり覚悟を決めないといけないって思う」

 

これに対してギャルは

「ぜったい渋谷に出た方がいいっす。渋谷に行きましょう!」

 

軽い。なんて楽観的な言葉を発することができるギャルたちの幼さが羨ましいような、危なっかしくて不安になるような複雑な心境になる。

 

成田さんの話は、人生の酸いも甘いも経験している人の言葉だけあって深みや重みを感じられ、ギャルたちにも自己防衛のために知っておいてほしい現実的な感覚をお持ちだ。

 

ここにいるギャルたちは、愛する家族がいるかなり恵まれた環境で育ったようで、それは本当におめでたいことだと思う。

 

ただ、そういう恵まれた人ばかりではないということを知らないと、いずれ搾取されてしまいそうで怖い。

 

傷つく前に、既に傷ついている人の経験から学び、人の痛みに寄り添える共感力を育ながら、自己防衛できる人間に成長することを切に願う。

 

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22)身体を不潔に保ってレイプ対策を思いついた幼児

今日、シャワーに入った。

 

髪の毛にコンディショナーを使った。

 

よくできた38歳の私。

 

前回シャワーに入ったのは5日前。

 

体がベトベトして気持ち悪かったけど、入るまでに5日かかった。

 

それでも以前よりは頻度がだいぶ増している。

 

過去の私はほとんどシャワーに入らなかった。多分、数週間に一度、月一くらい。一年に15回も入らなかったと思う。

 

下着も変えなかったから、隠部が化膿して痛くなった。

 

今日も隠部に傷ができていた。

 

なんでシャワーにあまり入らなくなったのか。

 

それは、身体を綺麗にしたらそれだけ、レイプされる確率が高くなると幼少期に悟ったからだ。

 

父親がバックパッカー時代、世界中で娼婦を買いまくったと自慢話をしているのを何度も聞いた。

 

そして、ある女性バックパッカーの話になった時、「あいつは女じゃなかった。風呂にも入らなくて汚かった。」と父が話した。

 

その時、私は「コレだ」と閃いた。

 

風呂に入らなければいい。

 

うちの風呂はそもそも父親から出たと思われる汚物で濁っていて、そんな風呂なら入らない方がマシだし、身体を不潔に保てば「女」と見られないならそのほうが断然良かった。

 

何日間、風呂に入らずにいられるか試してみよう。コレなら、楽勝だと思った。

 

それから私は風呂に入らなくなり、たまーにシャワーを浴びる程度になった。

 

当時の私は、4歳の時から父親の強制わいせつを受けていたことを「悪夢だ」と思い込み、今ほどは自覚していなかったのに、レイプに対する防衛対策を閃いていたことに驚く。その反面、自分がどれほど身体を侵害されたくなかったかよくわかる。

 

当時から陰部が化膿していた。

 

よく、「強制性交などされた子どもの性器には傷が見られる」と言われる。

 

私の場合は、父親から受けた強制わいせつによる直接的なものではなかったが、性的搾取によるトラウマがあったため、自分の性器に傷がつくほどまでに自分を不潔に保って、身を守ろうとしたのだった。

 

日本が中国・南京を侵略した時、女性や少女は顔に鍋底の炭を顔にぬり、ボロボロの服を着て、自己防衛しようとしたと言う多くの証言を思い出す。

 

しかし、性病が見られる女性でも強姦したと言う日本兵の証言を読んで(『南京戦ー閉ざされた記憶を訪ねて 元兵士102人の証言』)日本兵の鬼畜さは流石だと思った。

 

私の体には、その日本兵と同じ「日本人」の汚い汚い血が流れているから、4歳にして父親から犯される運命だったのだな、と思うとなんか納得できるのだ。

子どもへの"愛撫"が暴力である理由(実体験)

私は4歳の時に父親から性器を触られ、非常に気持ち悪かったものの、それが「愛情表現だ」と思い込まされ、自分でも気持ち悪いほど「お父さん子」になりました。そんな私は悪化する精神疾患の治療の過程で、父親から体を侵害されたうえに、その時に覚えた感情を否定された記憶を押し殺していたことに気づきました。そして封印していた記憶や感情によって、自傷行為や他害行為をやめられない精神状態におちいっていたことが判明しました。父親がなんと言おうと、自分で自分をいかに騙そうと、嫌なことは嫌であり、殴る蹴るや脅しが伴わなくても、あれは暴力だったと言うことを認めざるを得ませんでした。

 

子どもに与えられたのは〝愛〟ではなく、暴力です。加害行為であり、搾取であり、心と体を踏みにじる行為で、人権そのものを侵害しています。子どものその先の人生を大きく変えてしまうかもしれないほどの、苛烈な暴力なのです。

斉藤章佳(2020)『小児性愛という病ーそれは愛ではない』p.22

 

小児性愛という病』を読みながら、自分の性被害・性加害を振り返えり、子どもへの性行為は、大人がどのように解釈しようと暴力である理由を解いてみました。⚠︎フラッシュバック注意。

 

私が覚えている限りでは、4歳の時から始まった父親からの強制わいせつは、とてつもなく気持ち悪くて、怖くて、理解不能で、私は本能的にその場から逃げました。それなのに翌朝、母親から「お父さんからメゴメゴ*1してもらったんだって?よかったねぇ」と言われギュッと抱き寄せられたのです。私は混乱の余り、言葉を失いました。

 

ものの数時間の間に、天と地がひっくり返った直後にもう一度、天と地がひっくり返り、何事もなかったかのように日常が過ぎていったのでしょうか。その後の記憶はすっかり抜け落ちています。きっと朝ごはんを食べたり、いつもと変わらない日常が過ぎたのだと思いますが、全く覚えていません。きっと「あの記憶」に比べれば、その他のことは全く無意味で無効であるかのように、敢えて記憶するに値しなかったのでしょう。

 

でも、事ある毎に、私は「あの記憶」を思い出しました。私が4歳か5歳の時、初めて母親に嘘をついた日。母親から怒鳴られビンタされた後、真っ暗なクローゼットの中に閉じ込められた私は、その中で猥褻雑誌の山を発見し、それを初めて見たものの、父親の物だとすぐに理解しました。そして、こんな陰湿な趣味を持った父親が「あの時」についた嘘に関して母は気づきもせず喜んでいたのに、あの時に父親から学んだ嘘を私が真似たら体罰を加える母親への不信感と憎悪が芽生えました。

 

天と地が三度目にひっくり返された瞬間でした。結局、父親が「あの記憶」の中でやったことは「やっぱり、良くなんかなかった」ということが母親の反応からも明らかになったものの、母親はそのことに気づいていないため、父親は罰せられず、私だけ罰せられたのでした。

 

私は百歩譲って父は悪気がなかったのだろうと思い込むことにしました。しかし、母親に関しては、正論を並べて偉そうに怒鳴って体罰を加えてくる度に、父親に言いくるめられるほど間抜けであることが思い出され、私は彼女を嘲笑うことで自尊心を保ちました。

 

同じ不快感であっても、母の体罰は身体的な痛みが伴い、分かり易い暴力だったので、敵視しやすかったのだとも思います。それに父親が私にしたことは「よかったこと」という認識は少なくとも、両親の間では共通していることになっていたので、「子ども」として見下されていた私はそのことに関して口出しできませんでした。

 

私はわずか4、5歳にして、父親から犯されたことがきっかけで母親との間に深い確執が刻まれました。

 

この頃から「あの記憶を覚える前の無邪気な私」は無効とされ、記憶のどこか深い所に封じ込められたのでしょう。「平凡な日常に関連する記憶」がスッポリと抜け落ちているのは、そんな幻想はまやかしでしかないことが立証されたからでしょう。

 

そのためか、私の記憶はたいがい「あの記憶」を呼び覚ますものばかりです。「フラッシュバック」と言われている現象です。私は表向きでは長年「ただの悪夢」だと思い込もうとしてきたのですが、「実際にあったことだ」ということを私の中の誰かが事あるごとに「あの記憶」を引っ張り出して、証明しているかのようです。あるいは証明するために「あの記憶」が「性犯罪」と認識させるために危険な経験を「追体験」として何度も繰り返えさせられてきたように思えてなりません。

 

私は30年以上に渡り、心身共に傷つく体験を繰り返し、その度に「あの記憶」が思い出されたため、もはや「ただの悪夢」では片付けられなくなりました。実際に「本当に起きたこと」だと認めることができた後も、私は気持ち悪いほど「お父さん子」でした。そして怒りの矛先は母親に向けられたままでした。

 

状況の変化が起きたのは、30代で受けた心理療法ゲシュタルトセラピー」がきっかけでした。私は当時から交際男性に対して言葉や精神的な暴力(DV)を加えてしまうことが悩みで、その怒りの現れ方が母親から受けた虐待と似ているため、私は母親への憎しみを解決する目的で参加しました。

 

しかし、私が両親から受けたトラウマの話をした後、セラピストは私に「まず、父親へ怒りをぶつけましょう」と言い、私は困惑しました。母親への怒りを解消したいのに、父親に?父親にも怒りを感じたことはあるものの、母親への怒りほどではありませんでした。私はセラピストに言われるまま、ぎこちなく、父親への怒りの言葉を発しました。半ば言わされているようで、気持ち悪かったのを覚えています。心がこもっていませんでした。

 

セラピーの後に「でも、父親からは虐待を受けたとは思っていないんです」と私が言うと、セラピストが一瞬、絶句しての目が点になったのを見て、「私、今、なんか変なこと言ったかな。暴力を受けたことがないから虐待だとは思えないという意味だったんだけど?」と思いました。

 

「父親からされた気持ち悪いこと」は殴る蹴る脅しなどの暴力が伴わなかったため「虐待」だという認識が遅れていました。

 

でも、今なら、父親の強制わいせつは「愛なんかではなく、暴力であった」ことがはっきりと認識できます。それは、30年以上の間で私が、父親から猥褻行為を繰り返される度、母親から体罰を受ける度、好きでもなんでもない男たちから性被害を許す度、私が幼年期から思春期にかけて弟への性的・精神的加害を行動化したことを思い出し自己嫌悪に陥る度、現在の交際男性に言葉の暴力や浮気などの裏切り行為で精神的に追い詰めながら自己嫌悪が悪化する度、慢性的な躁鬱病に悩まされる日常の中で、「あの記憶」が常に呼び覚まされるからです。

 

私の人生が狂ってしまったのは、悪夢のような「あの記憶」が紛れもない「現実」であったにも関わらず、あの時に感じきれずに押し殺した「不快感、恐怖、混乱、不信感、嫌悪感、不安」などの感情を解放することができなかったから。それが30年以上もの間、心の奥の奥まで溜まりに溜まって、蓋をすることができないほどパンパンになり、何かのトリガー(引き金)で無意識のうちに爆発し、自傷行為や他害行為を繰り返してしまう。

 

大人がなんと言おうと、子どもへの性行為は「愛」から生まれる行動ではなく、支配欲という暴力的なエネルギーが源になっている。そのことを私は人生をかけて証明したようです。

 

父親がいくら「愛情表現だ」と主張しようと、騙された母親が「よかったね」と私を抱き寄せようと、私が「お父さん子」という人格を作り上げようと、父親からされた「気持ち悪く・怖い・理解不能な経験の記憶」を完全に払拭することはできませんでした。それどころか、あの記憶は30年間以上の時間をかけて、「あなたは父親の行動に傷つけられましたよね?違いますか?これでも認めませんか?どうですか?」と私に認めさせるかのように、私は自分で自分の心身を傷つけ、あの恐怖を追体験してきて、今もこのように苦しんでいます。

 

子どものことを「本当に愛している」のなら、どうか、子どもに手を出さないで。

 

代わりに、自他との間にある見えない境界線の存在について認識し合おう。NOという練習をして、自他のNOを尊重しよう。

 

それでも、子どもに性的興奮を感じるあなたは、高い確率で、幼い時に身近な大人から性的なことをされたのかもしれません。またはなんらかの形で自尊心を傷つけられ自信がなくなっているのかもしれません。この課題に特化した精神科医もいます。メッセージをくれたら、紹介します。

 

子どもは未来です。私みたいに、加害者にまでなってしまう被害者を増産させないでほしい。

 

*1:「可愛くてしょうがない」という新潟県の方言らしく、「愛撫する」という意味で父が使っていた言葉