「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

【23】彼と安らかに暮らすには......

 

彼と末長く落ち着いた暮らしをするには、私が自分の精神を安定させなくてはならない。

 

私は、騒音が酷い賃貸から引っ越したいと長年、文句を言ってきた。

 

彼は、私が「文句を言わなくなるのなら引っ越してもいい」と言うが、(引っ越した後も文句を言うのではないか)と疑ってしまうそうで、引っ越すことに対して消極的だ。

 

結局のところ、彼と末長く暮らすには、私は文句を言って、すぐにキレてしまう自分をどうにかしないとならない。

 

古今東西の治療法を試し、現在も精神科医に通っていて、少しづつ改善している気もするが、回復までには一生かかる覚悟で挑んでいる。

 

私が、今住んでいる場所が、騒音が酷く落ち着かないのは、私の心境を正確に表しているように思う。

 

幼少期に父親から犯されてから、落ち着くという感覚が失われた。

 

「落ち着く」ということとは無縁で、私は一生、放浪する人間だと思っていた。でも流石に数ヶ月単位から一年ほど旅を続けていると、帰る場所が欲しくなる。そういう時、いつも彼の元に帰っていた。彼といると落ち着くけど、一緒に借りている部屋は例によって落ち着かない。

 

特にコロナ疎開を経験してから、落ち着く場所が欲しいと思うようになった。でも落ち着くという感覚が欠如した状態だから、それが一体どういう状況なのかわからない。

 

静かなカフェで暖かい物を飲んでいる時や、広い図書館で読書をしている時、高級住宅街を散歩している時などは、なんとなく落ち着く感覚を覚えるが、それらは私が帰る場所ではない。

 

私にも一応「実家」という場所がある。ハワイ島に。

ハワイなんていうと「わーすごい」「羨ましい」などという言葉が聞こえてきそうだけど、私は長年家から出ることを企んでいて、22歳で家を出てから37年までの15年間、3回しか帰っていない。

最後に帰ったのは、数年ぶりで2019年4月。

 

帰省を考えただけでも憂鬱で、空港についた途端に震えて、実家に向かいたくなくて陽が暮れるまで動けなかった。

ハワイの空港で、恐怖で怯えて動けなくなるような人間は、私くらいしかいないのではないだろうか。

両親には帰ってきたことを伝えていなかった。

なんでそんな心境で行ったのかというと、幼少期から受けてきた虐待を清算しないと人生先に進めないと思わされる辛い経験をしたからだ。

 

幼児期から父親にされたわいせつ行為を母親に初めて告白し、その後、父親にも当時のことを初めて問いただした。両親の無神経な言動に私は何重にも傷ついた。

 

父親からセカンレイプを受けることに耐えられず、実家を飛び出した。

 

私には実家はあってないようなもの。あっても帰りたくない場所。トラウマが詰まった恐ろしい場所。落ち着くとは対極にある場所。

 

彼と落ち着いた暮らしをするには、私自身が心を落ち着かせる必要がある。いつになったら落ち着けるのかはわからないけど、希望を持ちながら、小さい行動を続けるしかない。