「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

【7】私はタブーの塊

f:id:twilighthues:20211116222749j:image私はタブーの塊。

 

だから、タブーについて考えていこうと思う。

 

タブーとは

ふれたり口に出したりしてはならないとされているもの。禁忌。おかすことが禁じられている、神聖または不浄な事物・場所・行為・人・言葉の類。
▷ taboo (=禁ぜられた、の意のポリネシア語から出た英語)

Google検索結果)

 

人類の三大タブーといえば、

殺人

食人

近親姦

 

私は少なくとも上記のうちの一つ「近親姦」を被害者として経験してから、加害者にもなった。

 

これがきっかけで、更なるタブーなことを数々も経験している。が、怖くてそれについて話すことすら、今はできない。

 

ただ、私が一番苦手とする自己受容をするためには、自分のタブーな人生をも受け入れる必要がある。

 

押し殺しては無視してきたタブーな出来事にこそ、私の真実、真に感じた感情が隠されている。

 

しかし、タブーについて語ることは、危険なことでもある。社会を的に回すことになるからだ。

 

もちろん、その社会の中には仲間も少数はいることも知っている。

 

ただ、私を敵扱いしようとすると人数の方が圧倒的に多い。

 

なぜならタブーというものは、社会の栄光を真っ向から否定するように聞こえかねないからだ。あくまで二極化的な視点から見た場合。

 

私の声を潰そうとする人たちには、その人たちの立場がある。私みたいな人間を社会から排除しようとすることで、収入を得て、安全な場所で暮らして、ご飯を食べて、贅沢な暮らしをすることができるだけでなく、社会から褒め称えられて、生き甲斐にまでなる。彼らは信念を持って、私を潰そうとする。良い悪いではなくて、それが彼らが選んだ仕事だから。

 

私はそのことを理解しているから、今まで声をひそめ、別の人格を装ってきた。

 

個人主義や「好きなことで生きていく」ことがもてはやされている時代でも、それが許されない人たちがいる。私はそのうちのひとりだ。日本にいたら、そう。

 

でも、一歩海外に出たら、そんなことない。

 

日本ではタブー扱いされて誰も議論していないことが、海外では大論争になっていることは少なくない。

 

私はこのギャップを感じる。日本に長くいすぎると、窒息しそうになり、時間を持て余しているような感覚になり、焦る。

 

ただ、私が発信したい対象、発信したい言語は日本語なんだ。

 

それはなぜかと言うと、やりがいを感じるから。

 

だって、世界では議論されていることが、日本では全く意識にも及んでいないことが沢山ある。しかも私の専門分野で。

 

要するにブルーオーシャン。その可能性にワクワクしない人はいるだろうか。いるかも知れないけど、私はみんなが既に話題にしているトピックスよりも、まだ誰も語ってないことについて語りたい。それが私が自分ごととして語れる唯一のことでもあるからなんだけど。

 

でも、それには覚悟が必要だ。日本を出る覚悟。しばらく帰らないこと。大切な人を日本に置いて、物理的に離れること。いつかまた日本に帰って来れることを願いながら。日本から仕事で呼ばれる日を想像しながら。旅立つ。

 

旅はいつも、目的が明確になった瞬間、適切な場所から呼ばれて、始まる。