「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

【19】もやもやの言語化

大愚元勝和尚さんがYouTubeでお悩み相談を始められてから「気づいたこと」を読んで共感したので、自分語りをしてみる。

 

「多くの人がウソや偽りを離れて、本当の自分をさらけ出したいと願っている」

 

これは私も抱えている悩みだ。私が本当の自分をさらけ出さない理由は、本当の自分をさらけ出したら、社会の風当たりが強くなり、自由を奪われるだろうという、不安と恐怖心が根底にある。

社会に反するコトをしたいのではなく、自分の意見を伝えて、あわよくば他人のため、社会のためになりたいと思っているのに、だ。

どんなに善意があっても、それを悪意と捉える人たら、暴力を振るわれる可能性がある。しかも、私の思考はまだ日本にあまり入ってきていないため、危険に晒される可能性が高い。

いつの時代も「個人の意識」は「社会の意識」より前衛的だ。だから、このような悩みは尽きないのだろう。だから、「活動家」というわかりやすい方法だけでなく、「芸術家」という一見わかりにくい場合もある表現方法を選択する人もいるのだろう。私は、後者の顔をした前者の要素を秘めている人間だ。

しかし私の目的は社会を変えることではない。もちろん変わった方がいいことも目につく。でも社会は割とゆっくり、勝手に変わっていくことも知ってるし、「社会を変えようとすること」は「他人を変えようとすること」に通じていて、それにはなにか遠回りで無謀な闘い、時には暴力的にさえ見えるから。だから、私は社会の一部である自分を変えることに専念する。最も簡単で難しい方法だけど、自分次第なので手応えは掴みやすいと、希望を持ち続けようと思っている。

 

「どうやら悩みは、問題が整理されないまま、漠然と胸中に留まることによって起きているという一面があるようです。」

 

私の場合、悩みは上で述べたことのほかに、対人関係と経済的なことがある。

 

対人関係で無意識に無理をしてしまう(良い顔をしてしまい、疲れてしまう)ことが多い。せっかく仲良くなった友達に尽くしすぎて、疲れ、しばらく声も聞きたくないという感覚になってしまうことが多い。適切な距離感というものが課題。

 

一方で唯一気を許している彼氏には図々しいくらい甘えてしまう。尽くすこともするが、それ以上に甘えてしまう。そして、彼を疲弊させてしまう。そして寂しいと嘆く。

 

私の中でまるで二つ以上の人格が存在して、統合できていない。

 

友達にもう少し本音で話し、彼にもう少し気を遣ったら、バランスがとれるかとしれない。

 

次に、経済的な課題。

 

私は最近、以前よりお金の使い方が上手になってきたと自覚している。すると、今度は使うばかりではなく、増やす力も必要と実感し始めた。さらに、今までのワーカホリックの反動で労働時間の切り売りに興味がなくなってきている。要するに新しいジャンルの学びである不労所得を得る勉強の必要性に迫られている。

 

まずは証券口座のパスワードを取得しないと。それから家計簿も続けないと。ね、とても初歩的なところで躓いている。