【25】師走の日 誕生ケーキ 持ち帰り
自分だけのために誕生日ケーキを一切れだけ買った!!!
私は割となんでも独りでするタイプの人間だ。が、「自分だけのためにケーキを一切れだけ買って持ち帰る」ことには、罪悪感のミルフィーユのようものを感じ、実行できないでいた。
・自分だけのために(他人のためではないという後ろめたさ)
・ケーキを(生きていくために必要な物ではなく完全なる嗜好品という正当性の弱さ)
・一切れだけ(サイズ感が主張する「分け与える気さえもない」ことへの不面目さ)
・持ち帰る(一切れ分を想定していない箱を細工させてしまう手間が店員に申し訳ない)
思い返せばもっとハードルの高い、しかも危険な橋を数々もひとりで渡ってきた。ひとり旅はもちろん、男性しかいない入り辛そうな飲食店にも、危ない香りのする現場にも。そんな怖いもの知らずの私が、ケーキのショーケースの周りを何往復もした挙句、結局は買わないということを何度も繰り返してきた。
誰かと一緒に食べるために、ケーキをふた切れ以上、あるいはホールケーキを買うなら抵抗はない。
ケーキ屋にイートインがあれば、余裕で一切れだけ買って、ひとりでも楽しむことはできる。寿司だってコース料理だってその場所に食べる場所があれば、ひとりで食事をすることにも抵抗はない。
でも「自分用にケーキを一切れだけ買って持ち帰る」となると、頭の中の声が騒ぐ。
a「一切れだけ持ち帰って独りで食べるなんて、恥ずかしくない?」
b「ケーキが箱の中でズレないように店員さんに細工してもらうなんて申し訳ない」
c「ケーキを持ち帰るなら誰かと一緒に食べた方が美味しいよ」
aとbが一番大きい理由で、他人の目(特に店員や他の客)を気にしているのがわかる。
cは上記を正当化するための言い訳。でも、美味しいものは誰かと食べても独りで食べても美味しいし、不味いものはマズイ。不味いケーキなんて日本では珍しい。
今日は初めてそのささやかな夢を叶えた。自分にとってはビッグイベントだ。
何故、今回、自分の中にあったブロックを外せたのか。
それは、昨日は自分の誕生日だったにも関わらず、いつもの癖で自分が本当はやりたかったことが、なんとなくできずに、二番手三番手で妥協した選択しかできていないことに虚しさを感じたからだ。
これでは歳をいたずらに重ねているだけで、人間としての成長はできていないじゃないか。誕生日の翌日、そんな自分を卒業しようと強く思った。
実際、ケーキを買う前も、お腹が空いて夕飯に何が食べたいか分からず、目星を付けていた店を6軒周り、あーでもないこーでもないと言いながら、最終的に台湾料理屋に入ったが、案の定、普通だった。
口コミでは店の評価は高めで、注文した料理もそれなりに美味しかったけど、これと言った感動はなく「可もなく不可もなく」という言葉がマッチする。
でも別に店が悪いわけではない。この店の料理に感動する人がいるから評価がそれなりに高いわけだし。でも、自分は台湾に3年半以上住んで、何百倍も美味しい本場の味をたくさん知る機会に恵まれたから、必然的に求めるものが違うだけ。それなら台湾に行ってこい・東京にいるなら江戸前寿司でも食っとけって話だと思う。店が悪いのではなくて、私の選択肢が間違っていたのだ。
そんなわけで、いつものパターンに陥ってしまっている自分に気づいた。いつも妥協すると欲求不満になる。でも妥協せず、とことん自分の欲望に忠実になった瞬間「生きている」という感覚を覚える。
そんな自分が「ショートケーキが食べたい」と声に出して呟いているのことに、気づいた。数日前から言っていたけど、色々と言い訳をして、自分の希望を叶えてこなかった。
こうなったらその希望を叶えるしかないと思い、何周したか分からないケーキのショーケースの前に思い切って立った。
私「ショートケーキをひとつください」
店員「ショートケーキをおひとつですね」
私「はい」
店員さんは、私の注文をすんなり受け入れてくれた。
他にご注文はありますか?などと余計なことは聞かずに、テキパキとケーキを箱に入れ、私にそれを確認させてくれた。そして嫌な顔一つぜず、ケーキがズレないように、箱を細工してくれた。
「持ち歩き時間はどれくらいでしょうか?」
「すぐそこなので」
「保冷剤はおつけしますか?」
「結構です」
「フォークはおつけしますか?」
「結構です」
隣には私より前に注文していたカップルが複数のケーキを包んでもらっているのを待っていたが、私はその人たちを後にケーキの入った紙袋を持って店を後にした。
「できたできたできた〜🎶」
ずっとやってみたかったことをするってこんなに楽しいことなんだ。
勇気を出せば、お金をそんなにかけなくても、やりたいことは今すぐにでもできる。三十代後半、四十代に差し掛かった年齢までかかったが、大事なことを学んだ気がする。
実は数日前、「自分だけのためにケーキを一切れだけ買うことに抵抗を感じる件」についてハウスメイト2人に話題を振っていた。
KKさんは「私はできないけど、全く抵抗のない友人がいて、視野が広がった」と話した。
NSさんは「やったことはないけど、できる」「一つでも売れた方がケーキ屋は嬉しいから、”私のために(箱の細工)頑張って”って思えばいい」と言っていた。
なるほど、「おひとりさまケーキ一切れ買い」はやはりメジャーではないにしろ、やっている人はやってる、地味に行われていることなのかもしれない。と、その時、ほんの少し勇気をもらった気がした。
「おひとりさまケーキ一切れ買い」は勇気が必要なことだったが、ずっとやってみたかったことのひとつだったため、達成感は大きかった。いくら使ったかではなく、なんのためにどのように使ったかが大事。
私の場合「ただただケーキを独り占めしたい」という欲望とは違う。自分が食べたい嗜好品を誰の目も気にせず、自分のタイミングで手に入れる行為ができることが何よりもの幸福だ。嗜好品は、生きるうえで必要最低限ではないもの。贅沢なものあり、人生に彩りを与えてくれるものだ。
ケーキを一切れ持ち帰ること。その行為には、自己肯定感を育むこと、好きなことを再確認すること、少しづつ自信をつけること、自分を知り好きになることなどが込められている。
実際、自分用のケーキが買えたこと自体に満足し過ぎて、こうして溢れんばかりの思いを綴っているうちに、ケーキを食べるタイミングはどんどん先延ばしになっているが、幸せであることには変わりはない。