【3】私の偏った食欲
普段、他人と食べ物について話していると、自分が「オタク」のような気持ちになることが多い。
でも自分より遥かに食いしん坊な人がいると安心する。そのような人とは会話も弾む。そして形容し難い「後ろめたさ」を感じなくて済む。
「後ろめたさ」というのは、「味覚が発達している」=「育ちが良い」という印象を受けられ(壁を感じられ)ているのではないかという、私の勝手な妄想による心配。
言い訳がましいから言うチャンスがないのだけど、残念ながら「育ちが良い」のとは、違う気がしている。
確かに私の家系は職業柄、食に関しては、一般家庭以上の質のものを、普通に摂っていた。
祖母は富山県にあった料亭の娘。叔父は板前。父親はレストランのマネージャーを経た食料品店の経営者でケータリングもしていた。母親は食いしん坊で料理上手。
私は食べ物を噛める歳になると、祖父母や両親は高級食材を含め色んな物を惜しみなく食べさせてくれた。小学生の時も、お子様ランチとは無縁で、大人と同じコース料理をいただけたことは誇りだった。普段の庭料理は美味しく、たまに外食に行く時は一流の店に連れて行ってもらうことが多かった。
それでも、「育ちが良い」と思ったことはない。
親友は小学生の時、お小遣いを毎月20ドルくらいはもらっていたし、ぬいぐるみも新しい洋服も沢山持っていたし、中学生の時はブランド品を身につけていたし、毎年日本に帰って新しい雑貨や本や色んな物を持っていた。
うちの場合は、お小遣いはお年玉くらいで、毎月はもらっていなかったし、ブランド品なんてとんでもないし、海外や国内旅行には連れてってもらったけど、日本には数年に一度行くか行かないかだし、洋服もお下がりが多く、あまり買ってもらった覚えはない。
しかも、家の壁が剥がれたままだったり、タバコのヤニだらけだったり、窓ガラスが一箇所だけ割れててもテープが貼られているだけだったり、洋服もすぐ成長するからと常にサイズが大き過ぎたり、古くなって襟が伸びてたり、全体的に小綺麗ではなかった。両親とも若い頃はお洒落も嗜んだのかも知れないが、私が知ってる両親はお洒落とは無縁の人達だった。
私が自分で稼いだお金でお洒落をしようとすると、母親は私のセンスが悪いと馬鹿にした。髪の毛を染めるのも、ピアスを開けるのも、眉毛を整えるのもダメ。友達と遊ぶのもダメ。ダメなことが多かった。
唯一、食に対する欲を追求することは許された。
だからいまだに、食以外のことで自分の欲望を満たそうとすると罪悪感が生まれるし、臆病になる。でも食欲に関しては積極的に満たそうとするし、冒険もする。
食に対するブレーキがなく、一般的ではない食事体験を永遠に話せてしまう。でも、たまに温度差を感じては、他人の目が気になり、遠慮した方がいいかも知れないと思う。
家族の独特な価値観に感謝することもあるが、戸惑う時もある。