【12】桃の日の ガトーフレーズ アテスウェイ
かねてより念願だった、西荻窪à tes souhaits!(アテスウェイ)の「ガトーフレーズ」。
À tes souhaits(ア・テ・スウェイ)は、フランス語で「願いが叶いますように」という意味。お陰様で今日、正に願いを叶えられ、めでたい一日となった。
実は今日、ショートケーキを買う予定を立てていなかった。一日一回は健康維持のために外出すると決めているので、図書館に行った後、アテスウェイにダメ元で行ってみたのだ。そしたら、異様な光景が。なんと、行列がない。店内にも客は一人もいない。
アテスウェイと言えば、常に行列が絶えない超有名なパティスリー。食べログ「百名店」にも連年選ばれていて、ドングリのような形状の愛らしいモンブランも名物。
高評価の店は「行列という壁」を乗り越えなくてはならないというハードルがあるので、気軽には買えない。それはアテスウェイでケーキを今日まで買えなかった理由のひとつ。
それに〝自分だけのためにケーキをひとつだけ買って帰る〟発想にさえ背徳感を覚えていた過去の私だったら、素通りしていたことだろう。
でも、去年から〈ケーキを気軽に買って気軽に食べる〉ことを習慣化してきた私は、このチャンスをやすやす見逃すわけにはいかなかった。
店に着いたのは木曜日の午後16時半ごろ。この曜日と時間帯は、並びたくない人にとって狙い時なのかもしれない。
ケーキはどれも美味しそうだったけど迷わず、お目当のガトーフレーズ(苺のショートケーキ)をひとつ注文。
店員さんは笑顔でケーキを箱に詰めてくれた。
袋を受け取り、店を出た時はもう、ルンルン。これほどサクッとアテスウェイのケーキが持ち帰られるなんて誰が想像しただろうか。
3月3日の今日は、女の子の成長と健康を願う桃の節句、ひな祭り。しかも新しいことを始めるのに最適な新月。そんな今日は寝不足と低気圧の影響もあってか、いくら寝てもだるく、特に生産的なことをしなかった私。でも〝女性として存在していること自体が尊い〟と、帰り道の桃の花から肯定してもらったようで安心した。
帰宅し、部屋でショパンのピアノ演奏を流し、ブラジル産のスペシャルティコーヒーを世界チャンピオンのバリスタ伝授の方法で淹れ、ケーキを食べる準備。
ケーキが三、四個は余裕で入る大きさの箱。
高級感漂う白金のシール。
開けると、
大きな箱の中で倒れないよう、角でしっかりとホールドされているその様は
箱入り娘の如し。
深窓の令嬢、
カレー皿を初体験。
フェミニンなストロベリークリームに鎮座する
ケーキフィルムを剥がされ、
一回転。いただきます。
倒さず一気に下までフォークを入れるのが難しいほど長身。お味は、上品の一言。
ケーキは角から食べる都度、真っさらな断面が伺えて、同じケーキなのに新鮮味が湧く。
二口目。クリームと苺とスポンジの比率が絶妙。独りよがりな食べ方をしていたら、倒れてしまったが、ケーキは立てて食べるほうが美味しく感じるから、起こした。クリームと苺とスポンジは口の中で一体感をおび、溶ける。その中で主張してくるのは、桃色のフロースティング。苺味で、このガトーフレーズの最も特徴的な部分だと感じた。あと、気のせいかもしれないのだけど、スポンジと生クリームの間にカスタードクリームが薄く塗られているように見えた。
トッピングの苺を食べる時はいつもメインディッシュをいただくような気持ち。〝いよいよ〟というドキドキ感と、〝嗚呼、もう後半戦なんだ〟という侘しさが入り混じる。
名残惜しき、最後の一口。
ご馳走様でした。やっと願いが叶いました。メルシーボゥクゥ。
桃の節句の日にアテスウェイのガトーフレーズを食すことを通じて、自分の〝女性性〟を意識的に自ら自然と祝えた気がする。こんなことは、生まれて初めて。幼児期からごく最近まで、女に生まれたことによって辛い思いをすることが多く、強烈だったので。
ここ数年、〝自分の女性性を受け入れよう〟と挑戦していたら、いつの間にかそれが自然とできてきたことに驚きと喜びを感じる。
食後に改めて「桃の節句」について調べてみると、もともとは「女の子だけ」のための日ではなく、〈春を喜ぶ日〉であったそう。
そもそも「女」・「男」・「その他」などと無理やり区切りすぎるから悲劇が生まれるのだろう。
桃の節句の本来の意味の方が自然でしっくりとくる。