【10】女の性的加害者の使命
私は女の性的加害者
私は<女性>であり<性的加害者>である。
歳下のきょうだいに<強制わいせつ>を何度も繰り返した過去がある:
①私が4歳くらいの時、2歳下のきょうだいの性器に指で直に触れた。
②5歳くらいの時、きょうだいの性器に油性ペンで落書きした。
③小学校低学年のきょうだいの尻に”カンチョウ”をした。
④小学生のきょうだいの股間を足で圧迫し”電気あんま”をした。
⑤きょうだいが高校生くらいまで「ゲイになるよ」と脅すように言い続けた。
上記のことを、私は大人になってから、きょうだいに謝罪した。
きょうだいは「子どもだったし、戯れていただけだよ」と言って許してくれた。が、私は自分自身を許せない。
機能不全家族に詳しい精神科医も「幼少期におけるきょうだい間の性的な行為は頻繁にみられ、それを問題視したらキリがない」と過小評価したが、私の罪の意識は消えない。
強制わいせつ加害者になったきっかけ
何がきっかけで私は強制わいせつ加害者になったのか。
それは、幼児期(おそらく4歳くらいの時)に私が、父親から受けた性被害だった:
......私が両親の寝室のベッドで両親の間で就寝中、不快感を覚えて目が覚めたら、パンツの中に父の手が入っていて、私の陰阜を撫でていた。父は寝ぼけているのだろうか?と私は疑った。なら、その手を振り払おうと、寝返りを打つように母の方を向いた。が、父の手は私のパンツの後ろを握った。恐怖。混乱。恐怖。その場に居ても立ってもいられなくなり、なるべく素早く、なるべく静かにベッドから抜け出し、トイレに駆け込み、水だけを流した。
母親から「お父さんにメゴメゴしてもらったんだって?よかったねぇ」と言われながら、ギュッと抱き寄せられた。私は(???お母さん、喜んでいる???)と言葉にならないほど混乱し、何も言えなかった。
これは私が父親から受けた初めての性被害だと思っていたが、生まれる直後から始まっていて、私が成人になった後まで続いた(詳細はブログ記事に記載)。
私は「自分が父親から性的虐待を受けた」ということを受け入れられなかった。実際、幼少期はこの記憶を消していた。そしてフラッシュバックするたび「あれは悪夢だった」と自分の記憶を疑おうとした。
私は本来、父親に向けられるべき怒りを、躾の厳しい母親に向けた。「過干渉・過保護なことを言いながら体罰を与えるくせに、私が一番助けてほしかった幼児期も無能で無力だったじゃないか」と母の偽善者ぶりに憤りを感じていた。
私は母親にはどうしても甘えられなかった。甘える=助けを求めること。「お父さんがパンツの中に手を入れて触ってきた」と助けを求めるということ。そんなことを言ったら、父親の嘘がバレる。母親は怒る。母親は怒ると怖い。家族がどうなってしまうかわからない。母親が父親を捨てて、子ども3人を一人で育てるのは大変なこと。でも母親が子供の私のことを信じてくれる保証もない。信じてもらえられなかったら、私は家庭内でますます居心地が悪くなる。
私は消去法で「お父さんっ子」になった。
幼児の私の実体験として、父親の言動(私への強制わいせつ・母親への嘘)は、「賢い」母親に受け入れられた。私は「強制わいせつをする謎」と「嘘をつく術」を間接的に学んだ。私は強制わいせつをされて気持ち悪かったが、それを「親」が正当化する摩訶不思議な謎。「嘘をつけば丸く治る」術。
私は父に習い、自分や周りに嘘をつき続け、謎解きのようにきょうだいに強制わいせつを繰り返した。
性犯罪の実態
・女性の約3人に1人、男性の約5人に1人が性被害者。
・性加害者の95%以上が家族や保護者。
・性加害者の多くは性被害者である。
・性被害の申告は氷河の一角。
・性犯罪の再犯率は高い。
要するに、性被害は子供の頃から家庭内で起こり、被害者が成長するにつれて性加害者にもなり、更なる被害者を生み、更なる加害者を生む。
子供を「保護者」から守る
家庭が近親姦犯罪の温床なら、子供が保護者から守られる仕組みが必要不可欠だ。
①家庭内で起きている子供への性犯罪にスポットライトを当てて実態を知る。
②家庭内における子供への性犯罪がどれほど個人や社会への悪影響があるのかを知る(複雑性PTSD、月経前増悪PMEなど)。
③家庭内で子供への性犯罪をなくすために必要なことを考える(他人との境界線を尊重する性教育、法改正など)。