「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

【10】犯免狂子のプロフィール(短いVer.)

犯免狂子は1980年代、日本人の両親の間、アメリカで誕生。


4歳くらいの頃、実父から強制わいせつを初めて受ける。その記憶は幼少期で最も鮮明だが、実際、わいせつ行為は生まれた直後から始まっていて、30代後半まで続いた。母親からも体罰や精神的な苦痛を受け続けていた。彼らの言動は「愛情」「躾」だと思い込んでいた。


長年それらの記憶を否定したり、消したり、過小評価することで自分の感覚・感情を麻痺させていた。しかし繰り返されるフラッシュバック、ワーカホリック、自暴自棄、鬱病、交際男性に対するDVを止められないことなど様々な問題に悩まされた。セラピーやカウンセリングなど精神治療をしているうちに、自分が親から受けていたのは紛れもない「虐待」だったと徐々に認めることができた。


「被害」「虐待」と認識できるようになると、自分も加害者になっていたことを認めざるを得なくなった。私は父親から初めて性被害を受けた直後から10代まで、年下のきょうだいに様々な性的な暴行やハラスメントを繰り返した。


大人になってから謝罪すると、きょうだいは斉氣を「許す」と言ってくれたが、斉氣は自分自身を許せない。


それに斉氣は、言葉の暴力で恋人を精神的に傷つけてしまう。浮気を繰り返し、彼に不信感と恐怖心を植え付けてしまう。浮気は懲りたが、いずれにしても暴力的な自分をどのように制御すればいいかわからない。


両親から受けてきた虐待より、大好きな人たちに同じような加害を加えてしまう悲しみの方が今は何よりも辛い。前向きに生きているつもりでも、それが裏目に出てしまう。自分であることが怖い。故意ではなくても好きな人たちの幸せを奪ってしまうくらいなら、安楽死の道を選ぼうと思い始めた。


「死のう」と思ったら、それまでにやっておきたいことが鮮明になった。


これから生まれてくる子供達が、私のような経験をしなくてもいいよう、安心安全な家庭や社会で育つためのヒントになる言動をする。自分のセラピーのために始めたこのブログも、誰かを早い段階から守り、救えることを祈って書いている。