「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

遺書〜近親姦加害者・DV女の死に支度〜

犯免狂子(著)

 

目次

 

1983年(0歳) 

日本人の両親の長子として、アメリカ最大級の都市に生まれた。日系アメリカ人二世。

 

母親曰く「ほとんど泣かず、手間のかからない娘」。

 

父親曰く「待望の女の子」。(生まれた時どれほど嬉しかったかという話を何度も繰り返していたのを、物心ついた頃の心は覚えている)

 

1985年(2歳)

弟が誕生。

 

母親曰く「弟の面倒をよくみる、聞き分けの良い姉」

 

1987年(4歳)

父親から強制わいせつを受ける。心が両親の寝室のベッドで両親の間で就寝中、不快感を覚えて目が覚めたら、パンツの中に父の手が入っていて、私の陰阜を撫でていた。父は寝ぼけているのだろうか?と私は疑った。なら、その手を振り払おうと、寝返りを打つように母の方を向いた。が、父の手は私のパンツの後ろを握った。恐怖。混乱。恐怖。その場に居ても立ってもいられなくなり、なるべく素早く、なるべく静かにベッドから抜け出し、トイレに駆け込み、水だけを流した。

 

直後の記憶はない。

 

母親から「お父さんにメゴメゴしてもらったんだって?よかったねぇ」と言われながら、ギュッと抱き寄せられ、私は???お母さん、喜んでいる???と言葉にならないほど混乱し、何も言えなかった。

 

直後の記憶はない。