『きんしんかん:性加害のニワトリとたまご』

ある本がきっかけで、逃げるように東京に移住した日系アメリカ人の斎氣心。初めて心を開ける人に出逢うも、彼にDVをしてしまう。確執が長年ある母親のような自分に絶望した。原因は、母の「躾(暴力)」と女性ホルモンだと考え、低容量ピルYAZを服用したが、副作用で臨死した。古今東西の代替医療による精神治療を試行錯誤する中、幼児期に父親から受け始めた猥褻を自覚する。それでも問題が雪だるま化するため、両親に虐待の事実を問いただした。しかし己の被害を自他に明示できた瞬間、自分もきょうだいに性的加害をしていた記憶が蘇り...

【4】『女子高生に殺されたい』とDID

古屋兎丸さんの漫画『女子高生に殺されたい*1』で、精神疾患解離性同一性障害(Disassociative Indentity Disorder、以後DID)」が扱われているが、私はこの部分に興味がある。

 

「自分が殺されることに性的興奮を覚える性的嗜好「オートアサシノフィリア(Autoassassinophilia)」を覚える主人公の男性教師・東山春人。「この子に殺されたい」と想いを寄せている女子高生・佐々木真帆が、4歳の頃から経験した虐待(父親が母親や自分に暴力を振るい、優しかったがやがてアル中になった母親からも暴力を振るわれた)が原因でDIDになったということを真帆の人格カオルが暴露する。

 

DIDは昔は「多重人格(Multiple Personality Disorder)」と呼ばれていた。私が小学生の頃、たまたま観ていた日本のバラエテイティ番組で「多重人格」が取り上げられていて、その時、「私も多重人格になりたい」と興味を惹きつけられたのを鮮明に覚えている。でも、なんとなくそれは不謹慎なことだとも思ったから、誰にも話さなかった。「不謹慎」という言葉こそ知らなかったが、なんとなく、羨ましがってはいけないことという印象を受けた。

 

私が4歳くらいの頃、父親による強制わいせつなどを受けたということを大人になってから認めることができ、その他にも続いた両親からの「躾という名の虐待」によって、精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(Complex Post Traumatic Stress Disorder、以後C-PTSD)」が持病になっていたことに気づいた。それは月経前増悪(Prementrual Exacerbation、以後PME)の症状から発覚した。症状は、躁鬱や、境界性人格障害(Bipolar Personality Disorder、以後BPD)や、脅迫的性行動症状(いわゆる「セックス依存症」)。平たくいうと、基本的に鬱で、恋人には怒り狂い、躁状態の時には何かしら人間関係に問題を起こして、再び鬱になるということを繰り返す。自分で自分をコントロールできないため、自分であることが怖くて、身動きが取れない。

 

自分をどうにかしたくて、毎日、勉強している。その過程で、DID患者のドキュメンタリーを観て、衝撃を受けたと同時に、納得した*2。DIDの多くは、幼少期に性被害などの虐待を受け続け、その苦しみから自分を守るために他の人格が形成される傾向が強いことを知ったからだ*3

 

私が4歳の頃、父親が睡眠中の私のパンツの中に手を突っ込んで陰部を撫でていた時、あまりの気持ち悪さで目が覚めた。それが「良いこと」か「悪いこと」かなど誰からも教わっていないのに、本能的に「気持ち悪い」と感じ、その場から逃げた。でも翌朝、母親からはこう言われた「お父さんからめごめごしてもらったんだって?よかったねえ」。私は、ただただ混乱した。自分が性被害者だという認識はなかった。当時から頻繁にフラッシュバックしていたが、それは「悪夢」だと思い込んでいた。「優しいお父さんがそんなことをするはずがない」と信じ込もうとしていた。気持ち悪いことに、私は「お父さんっ子」に育った。思い出したくもないことをしていた。

 

幼児期から幼少期の記憶はあまりないが、あるとすれば性被害に関連する記憶が多い。小学生の時に「多重人格になりたい」と思ったことは鮮明に覚えていて、そんな自分はおかしいかな?と思ったことも覚えている。でも今ならしっくりくる。私は「(性被害を受けた)自分」でありたくなかったため別の人間になれれば、どんなに楽かと想像したのだ。「多重人格」への憧れは「不謹慎」ではなくて、切実な想いだったんだ。

 

私は30代の時、ある精神科医から「解離性がある」と診断されたことがある。正直、その医者は私の話をほとんど聞かなかったので、信憑性には疑わしいものがある。けど、確かに私は「自分が自分である感覚、自分の意志によって行動している感覚が途切れ、意識や感情、感覚や運動機能などが本来の自分とは異なった状態になる(自己同一性の破綻)*4」ことがある。

 

例えば、男との性行為。「本当はしたくない」と思っている自分が奥に引っ込められ、行為に及んでいる自分は嫌々ではなく、吹っ切れて積極的になっている。こういう時、私は自分が自分ではないと感じる。

 

深掘りしてみる。物心つく頃からセックスが「良いこと」だと洗脳されて育ってきたのに、いざことに及んでみると、虚しいだけ。気持ち良かったことなんて雀の涙にすぎない。男は大概、下手で早漏で役立たずな癖に、毎回簡単にイキやがってズルイと思った。男は最悪、金を払えば奉仕してもらえるサービスが無限にあるのに、女性はそのようなサービスがほとんどないに等しい。浮気は、男はしても当たり前なのに、女がすれば大騒ぎ。女だからってなんで快楽を求めたらいけないんだ?という反骨精神から、僅かな期待に駆られて虚しいセックスを繰り返してきたんだと思う。でも、そもそも、セックス中毒の父親の悪影響がなければ、セックス自体にこれほど期待することもなかった。

 

だから男との性行為で満たされようとしていた愚かな私は、「本来の自分」の姿だとは思えない。父親や一部の男の偏った性癖に幼児の時から洗脳され続けた人間だ。

 

「洗脳」とは、強制力を用いて、ある人の思想や主義を、根本的に変えさせる事。*5

 

「本来の自分」とは、「自らの意思で、自らの目的を果たすために、行動している自分のこと」*6

 

今の私は、本来の私とはかけ離れた人格になった。「自分が自分」であると言い切れない。幼児期のすっぽりと抜けている記憶の中に本来の自分が隠れているはずだが、まだその子が生きているのかどうかもわからない。

 

虐待前の私:

・ほとんど泣かず(母親の証言)

・聞き分けの良い(母親の証言)

・きょうだいの面倒をよくみる姉(母親の証言)

・性的なことに興味なし

 

虐待後の私:

・反抗的(嘘をつくようになった)

・よく泣く(自分が嫌い)

・性的なことに興味を持ち、きょうだいに性的加害を加える

 

こうみるとやっぱり別人だ。虐待前の私はどこへ行ったのだろう。

 

 

 

古屋兎丸さんの漫画『女子高生に殺されたい』は1巻だけAmazon Prime (アマゾンプライム)で読める。2巻で完結する。