『きんしんかん:性加害のニワトリとたまご』

ある本がきっかけで、逃げるように東京に移住した日系アメリカ人の斎氣心。初めて心を開ける人に出逢うも、彼にDVをしてしまう。確執が長年ある母親のような自分に絶望した。原因は、母の「躾(暴力)」と女性ホルモンだと考え、低容量ピルYAZを服用したが、副作用で臨死した。古今東西の代替医療による精神治療を試行錯誤する中、幼児期に父親から受け始めた猥褻を自覚する。それでも問題が雪だるま化するため、両親に虐待の事実を問いただした。しかし己の被害を自他に明示できた瞬間、自分もきょうだいに性的加害をしていた記憶が蘇り...

【5】4歳でも父親からの強制わいせつに疑問を感じた私

私は物心つく頃から「自分が自分でない」ような感覚があった。

 

成長の過程でやりたくないことをしてしまう自分に困惑していた。

 

「本来の私は4歳の時、父親から性被害を受けた時に死んだんだ」と納得していた。

 

それでもモヤモヤしていたところ、私の事情を知っている彼氏から「あなたはあなた」と言われ、「どういう意味だろう」と思った。

 

今朝、岡田斗司夫さんの「4タイプ理論」のテスト*1を受けてみると、私は「理想型」だった。MBTIでもINFPで理想家だったし、誕生日や数字占いでも「理想が高い」ことがキーワードとしてよく出てくる。確かに自分に当てはまる気がしないでもない。(「いやいや、世間の理想が低すぎるだけだろう」という本音はここでは敢えて伏せておく)。

 

となると、「生まれた時から変わっていない部分がある」ということは、私にも「本質」というものがあることになる。私は虐待時から完全に魂の抜け殻になったわけでなく、現在にも受け継がれているものがあるということだ。

 

それはなんだろう、と考えてみたら、あることに気づいた。

 

 4歳の時、父親から強制わいせつをされたことは

気持ち悪かったし、それは今考えても気持ち悪い

怖かったし、今考えても恐ろしいことだと思う

混乱したし、今もなんであんなことができるのか理解に苦しむ

私の感情や感覚にも一貫性があるではないか。

 

被害の翌朝、母親から「お父さんにメゴメゴしてもらったんだって?よかったねぇ」と抱き寄せられた時、「え?メゴメゴって?お父さん気持ち悪いことしていて、怖かったよ?」って伝えられたら、どれほど私は自尊心を保てただろうか。

 

私は自分の真実を伝えられたという実績ができ、フラッシュバックの度「単なる悪夢だ」と思い込まずに、自分の感情や感覚を押し殺さなくて済んだかもしれない。でも母親に信じてもらえず更に傷ついたら、もっと深刻なことになっていたかもしれない。伝えたところでどう変わっていたかは、正直わからない。でも、被害を被って誰かに伝えて助けを求めるということは、当然であり、普通なことだ。それが親からの性犯罪になると途端に誰にも言えず、信じてもらえず、泣き寝入りしないといけないなんてオカシイ。

 

当時、学校が始まる前の私には、家庭内での性教育は受けていなかったし、絶対的な両親が言うことに反論する技術は備わっていなかったので、実際に上記のように母親に「え?なんのこと?」などと聞くのは無茶振りだと思う。「いつも怒ってばかりのお母さんが『よかったねぇ』って私を抱き寄せるってことはいいことなのかなぁ???」と思うのが関の山だろう。

 

でも4歳の幼児だった私は、性教育を受けていなくても、父親の行動に不快感・恐怖心・混乱し、大きな疑問符が浮かんだし、その場から逃げるという人間の本能が自然と働いた *2。「大人」の父親よりよっぽどマトモだったと言うことになる。そこまで発達していていたのだから、「お股は大切な場所だからここを見たり、触ったりする人がいたら、声を出して嫌だと言って、逃げて、報告するのよ」と教わっていたら、父親の行為が「いけないこと」とちゃんと理解してたはずだ。4歳とはそれくらいの言葉は理解できる歳だし、2歳や3歳でも理解できる。子供が自分の体を自分で最低限守れるための知識を保護者の大人がしないのは責任放棄だ。子供を自分が選んだ男による危険から守れなかったのは、母親の責任だ。

 

更に、私が明らかに嫌がっているのに、父親は執拗にパンツを握ってきたり、私がその場から逃げたのに翌日、母親に「いいことをしてやった」と伝えるのはどれほど悪質なことか。父親は立派な性犯罪者だ。私は性犯罪者の父親最も肝心な育児放棄をした母親から生まれた人間だ。

 

被害者は加害者になる確率が高い。実際に私はこの事件直後から、年下のきょうだいの性器を触ったり、落書きしたり、カンチョウや電気あんまをしたり、言葉での虐め繰り返した。

 

今では、彼氏に対してキレて精神的苦痛を加えてしまうDV女になった。

 

こんな過去のある私が子供を産んだら、同じように虐待するのは目に見えている。「虐待=愛情」だと洗脳されてきたから、それ以外の接し方を知らない。だから私は絶対に子供を産まないと決めている。

 

そう決めているのに、どうでもいい男たちとコンドームなしで性行為に及んでいたりした。私は自分の体や誕生してしまうかもしれない子供の命を守る術が抜け落ちている。それは幼い頃から「性行為は”愛する”子供を全否定してまで肯定されるべき、何よりも優先されるべき行為」だと父親から刷り込まれてきたからだ。それが一体どういう感覚なのか理解できたら、自分が受けた虐待を受け入れられるようになるのではないかと思ったのだった。

 

結局、父親と同じような人間に成り下がって分かったことは、無知による自己中心的な好奇心、下らない支配欲と傲慢さが根底とにあるということだった。私が自分の人生をかけて知りたいことではなかったし、父親からでなくてもいずれ知ることになる、ありふれた、どうでもいいことだった。

 

私はそんな自分を許す。

許しとは、私が尊敬しているオプラ・ウィンフリーによると*3

Forgiveness is giving up the hope that the past could be any different.

許しとは、過去を変えられたかもしれないという希望を捨てること。

It's not accepting what has happened to you.

自分に起きたことを受け入れることではありません。

It's accepting that it has happened to you.

自分に起きたことが起きたと認識することです。

Not accepting that it was okay for it to happen.

起きたことが良いことだと受け入れることではありません。

It's accepting that it has happened and now..."What do I do about it?"

起きたことを受け止めた上で「これからどうしよう」と行動に移すことです。

Forgiving is accepting the past for what it was, and using this moment and this time to help yourself move forward.

「許し」とは過去に起きたことを認識し、自分が前に進めるために今の時間をどう使うかということです。

 

 

 

 

*1:

*2:

*3: