安楽死に生きる

「恵まれた家庭で特別な愛情を受けた」と思い込もうとしてきたが、実際は父の強制わいせつ等を4歳から受け始め、母からも体罰など受けていた。思い返せば幼児期からあらゆる精神症状が出ていたが、自覚し始めたのは20代後半。治療を続けるうちに「虐待」を徐々に認めることができた。すると私自身も弟に性的虐待等をしてきたことに気づいた。現在は、恋人を言葉の暴力や浮気などの裏切り行為で精神的に追い込むDV女(38)に豹変する始末。世の生き地獄で見つけた唯一の希望が「安楽死」。その日まで子供への性犯罪がない社会を想像・創造する

18 『ふつうの私のゆるゆる作家生活』

私は益田ミリさんの絵や文章が好きだ。

 

なんだろう、絵のシンプルさに加えて、内容と余白のバランスが絶妙。

 

四コマ漫画の中、ほとんど同じ絵で始まって終わることもざらにあるのに、吹き出しやナレーションの間がいい。

 

疲れている時、鬱な時に活字は辛い。絵ならなんとかっていう時は特に益田さんの漫画を読みたくなる。

 

エッセイの内容もいい。そして挿絵が多いから、読みやすい。

 

初めて読んだ益田ミリさんの作品は確か『お母さんというオンナ』。私は自分の母親(毒親)しかしならかったので、世のお母さんという生体を理解したかったんだと思う。買って読んでみて、正直、漫画のお母さんが、私のお母さんと違い過ぎて、共感できず、内容をあまり覚えていない。(どうしていいかわからず、母親にその漫画を送ったけど、ノーコメント。うちの母親は幼児期にその母親から捨てられているので、私よりもっと「母親」という生態について知らない人だ)

 

いずれにしても、益田さんのイラストの独特なタッチには衝撃を受けた。ちびまる子ちゃんを更にシンプルにした感じで、一見誰にでも描けそうなのだ。

 

内容さえ、ハマればもっと読みたいと思っては、古本屋で立ち読みしたりするのだが、いまいち購入に至らないでいた。

 

そんな中、益田ミリさんの『僕のお姉ちゃん』がドラマ化し、私の好きな女優・黒木華さんが主演しているということで観たらハマった。私はこういう酸いも甘いも噛み分けた毒舌的なキャラが好きなのだ。

 

そして再び益田さんの作品を見ると実は沢山のあることに気づいた。

 

作品によって当たり外れもあると思い、試しに図書館で借りられるだけ予約。その中で絵本『こころ』やエッセイ『昨日うまれた切ない恋は』は特に私の中でヒットした。

 

漫画『ふつうの私のゆるゆる作家生活』は図書館で手に入らないため購入した。これも好き。益田さんがまだ売れない作家さんだったときの話で、上京するに至ることも描かれている。ご両親も登場するのだが、「なるほど」と納得した。

 

益田さんのご両親による子育てがいかに素晴らしいかが伺える。益田さんは学校では勉強ができなくても、家では母親から絵が上手ねーなどと褒められまくる。父親からは勉強より友達を作れと言われる。上京する前の日も「頑張らなくていいよ」などと言われる。

 

うちの親と正反対な教育だ。益田さんは自分にはできるという感覚があるというが、私の場合は何をどう成し遂げても虚しさが強まる一方で、自信などない。私が根っこから腐っているのは、親の「躾」が原因だってわかっていたけど、その現実をここでも突きつけられた。

 

私は勉強はできる方だったが、小学校低学年の時だけ時計と九九が苦手で、母親から怒鳴られビンタされていた。本当になんのための時間なのか全く分からず、怖いし痛いし、泣くことしか出来なかった。成績が良くても褒められた記憶はない。

 

父親も口先だけの人間だった。「勉強よりも友達を沢山作って欲しい」と言いながら、私が友達を家に連れてきたら、怒鳴られた。弟が友達と遊ぶ時は肯定的だった。遊びに行きたいというと、母親からは嫌味を言われたり、反対された。

 

私は母親からよく「あんたはフツウじゃない」と批判的に怒鳴られていた。「フツウって何?」とかこうものなら「可愛くないわね」と言われる。え?可愛くなくて全然いいんですけど。都合のいい時だけ勝手に「かわいい、かわいい」言ってるのはそっちでしょ?めんどくさいから私は何も言わないことが多かった。

 

だから自分のことを「ふつう」って言える人の感覚がわからない。私自身、自分のことを「フツウ」と思ったことがない。「フツウが正義」のように威張って暴力を振るう母親のことが異常だと心の底では思っていたし、それなら「フツウ」になんかならなくていいと思っていた。

 

いつも周りから「変わってる」と言われていたのもあるけど、これは、私が自分の心を守るためにワザと変なことをして笑わせることに必死だったからだ。心理用語で、躁的防衛というらしい。太宰治の『人間失格』の主人公・大庭葉蔵がやってた「道化」と同じだ。

 

自分は「フツウじゃなくて結構」と思っていた反面、本当に独特で「フツウ」という言葉のイメージからかけ離れている人と出会うと、安心感を覚えた。

 

ほら、世の中には、私より「変」で「フツウじゃない」人いるじゃん。複雑な家庭環境の人が大半だけど、みんなそれでも生きている。私に暴力も振るわないし、いい人達だ。見た目も性格も奇抜な人たちと比べると自分が「フツウ」ではないけど「如何に地味か」ということが実感できる。

 

あーあ、私も自分を肯定してくれる親の元に生まれたかった。虐待をする親の元で育った自分が可哀想だ。

 

とにかく私は彼氏を看取るまで生きなくてはならない。だから、その間、なるべく、益田さんのご両親のような接し方を彼氏にしよう。

 

できるかな、わたし。

 

できる。私にはできる。

 

自信がなくても、宣言だけはしておこう。