「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

19 私が障害年金を検討しているワケ

持病のうつ病で、仕事も日常生活もままならなくなっている私。年中無休・日中も夜中もワーカホリックだった頃に稼いで(でも他人に「NO」が言えず、ほとんど散財した)わずかに残っている貯金を切り崩している。でも、それが尽きることを想像すると不安で不安で、鬱病がさらに悪化し、身動きが取れなくなってしまう。

 

 

私の場合は鬱だけでなく、怒りを彼氏にぶつけて精神的に追い込んでしまったり、人間不信から無意識に人を裏切る言動をして人間関係を自ら壊したり、自分や身近な人にも危険な目に遭わたりする。生きているだけで、障害物のような存在だと自覚している。

 

 

これらの症状を専門用語でいうと「複雑性心的外傷後ストレス障害複雑性PTSD/C-PTSD)」という。さらにこれが月経周期に伴って悪化する「月経前増悪(PME)*1も併発している。該当する精神疾患や症状は他にもたくさんあるけど、ここでは割愛する。

 

 

自分の「複雑性PTSD(C-PTSD)」の根源には「4歳の時から父親に強制わいせつ等をされ始めた」などの虐待に遭った過去のトラウマがある。そして今、なによりも辛いのは、大切な人を自ら傷つけてしまうことを抑えられないこと。生きることに希望を持てなくなり「やっぱり安楽死をしよう」と考え始め、死ぬことに前向きになり、死に支度を始めた。

 

 

私がリストカットや首吊りなどの道を選ばないのは、痛そうで苦しそうだから。生き延びるだけでこんなに辛いのに、死ぬ時までも苦しまなくてはならないのは理不尽過ぎる。誕生は自分で選べないんだから、せめて死ぬときくらいは楽に自由にさせてくれ。

 

 

殺る時は、安楽死が合法なオランダで、と決めている。同じく幼少期から親の虐待によって精神疾患を患っている親友Mがオランダに住んでいて「その際はお世話になります」と伝えてある。彼女も以前、安楽死を希望し、施設で説明を受けたので色々と教えてもらえて頼もしい。実際、色々な条件をクリアしないとならないそうなので、誰でもすぐにできるわけではなく、準備が必要だという。

 

 

死ぬ方法や場所を選択したところで、今すぐに実行できるわけではない現実に突き当たる。死に支度にも段取りがあるからだ。立つ鳥跡を濁さず。安楽死に向けて、一歩一歩、確実に行動せねばならん。

 

 

まず私には今世で、罪を償わなくてはならない人がいる。彼氏だ。私は浮気・二股かけて彼を傷つけた。言葉の暴力で彼を精神的に追い詰めてきた。これまでの罪滅ぼしのために、彼を看取ることになっている。これは長年お世話になりっぱなしの彼の希望らしい。こんな私と連れ添ってくれる彼の人情の深さが理解できない。......いや、私が「彼と離れたくない」と泣き喚くから、「それならせめて看取れよ」ってことなのかも知れない。そっちの方がしっくりくる。こうやって、私は常に人を疑ってしまう性分なのだ。いずれにせよ、安楽死は彼を看取った後にすると決めた。

 

 

しかしそれまで、彼に迷惑をこれ以上かけないためにも、精神科医に通院する必要がある。でも通ったからといって奇跡的に直ぐ良くなるような単純な病ではない。私の場合、訳あって薬に頼らない心理療法、カウンセリング、代替医療などの治療を選択しているため、保険が効かない自己負担額が大きい。そのため、通院すればするほど医療費が生活費から削られるという不安が強化される。そこで例の友人Mから「障害年金」を申請することを勧められた。

 

 

実はもう随分前から何度も薦められていのだが、その頃の私は今とはだいぶ状況が違う。少し前までは仕事への意欲がまだ残っていた。仕事をして、お金を稼げば、経済的自立できる。そうすれば、この資本主義社会ではなんとかなる。だからこれまで仕事を第一優先にしてきた。

 

 

仕事への意欲は人一倍強かった。幼児期から「早く大人になりたい」(一人の人間として扱われたい)という強い想いがあったからだ。10歳の誕生日に、父親に土下座をして「店を手伝わせてください」と頼み込み、毎週日曜は朝から晩まで仕事をしていた。「仕事をすれば早く大人になれる=人間として扱われる」と勘違いしていた。どんなに仕事をしても、経済的に自立しても、親は私を人間扱いしなかった。短大学生の時、自分から家に毎月2万円払い始めた。それでも私の意見や希望が受け入れられることはなかった。

 

 

21歳の頃には、そんな息苦しい実家を離れて、学費と生活費を貯金で賄えるほどまでの貯蓄があった。お金さえあれば、親と一緒に暮らさなくてもいい。自由が手に入る。と、またまた勘違いしていた。親元を離れても、親は電話で束縛してくる。電話を拒否できたころには、もう既に親が望むようなツマラナイ人間に自分が仕上がっていた。もはや自分が誰で何が好きで何がしたかったのか、思い出せないほど人格が変わっていた。学費と最低限の生活費以外、稼いだお金の使い道も知らないまま、自分の時間を切り売りし続けた。

 

 

紆余曲折を経て30代後半になった今、お金を稼ぐということにさえ意欲がなくなってしまった。これまでにない感覚で、とても不安だ。お金を自分で稼げない分、他人にお願いしなくてはならないことが増える。私は人に頼ることが苦手なようで、なかなか行動に移せない。

 

 

でも一歩づつ、できていることもある。数日前、社労士に相談した。今日は別の社労士と電話して、今まで通ったことのあるクリニックで受診日や病名を確認するように指示を受けた。

 

 

障害年金という制度を知れば知るほど「ここが変だよ障害年金」と思うことが多い。効果的だけど高額なカウンセリングやセラピーを長年受けてきたにも関わらず、それらは全く認められず、薬を処方してもらっていないと「治療する気がない」と判断されるとか、おかしすぎる。私は現に、精神安定のために飲んでいた低用量ピルの副作用のお陰で死にかけたからだ(しかも処方した男のヤブ医者は「副作用は全くありません」とまで言い切っていた)。処方された薬でうつ病が悪化した友達だっている。こんなの有名な話ではないか。国が医療業界とグルになって安い薬でボロ儲けしたい魂胆が見え見えなのが腹ただしい。その他にもハードルがものすごく高く感じる条件が多く、落とし穴が沢山。特に精神疾患の患者は病状を軽く見られる傾向にあるのが辛い。言い出したらキリがなくなるので、詳しいことは後日、言及したい。

 

 

これまで、障害年金について真面目に考えてこなかった。万が一拒否されたら立ち直れないと思ったからで、そんな現実と向き合いたくないなどという恐怖心が根底にあったからだ。日本は、弱者には厳しい社会だと心得ている。弱者の私が助けてもらえるなんて期待したらバカを見るだけだと思っていた。今もそう思っている部分がある。

 

 

でも、そんな悠長なことを言ってられない。あと約一年で貯金が尽きる。そういう時は生活保護があるのかも知れないが、生活保護だって審査が厳しいと聞く。もらえるかわからないのに、貯金が尽きることを想像しただけでも不安が強まり、症状が悪化する。障害年金だって着手してから入金まで6ヶ月はかかるという。それも審査に通ればの話だ。

 

 

とにかく一か八かで賭けてみないと、何も始まらないと思って、行動に移してみている。

 

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*1: