安楽死に生きる

「恵まれた家庭で特別な愛情を受けた」と思い込もうとしてきたが、実際は父の強制わいせつ等を4歳から受け始め、母からも体罰など受けていた。思い返せば幼児期からあらゆる精神症状が出ていたが、自覚し始めたのは20代後半。治療を続けるうちに「虐待」を徐々に認めることができた。すると私自身も弟に性的虐待等をしてきたことに気づいた。現在は、恋人を言葉の暴力や浮気などの裏切り行為で精神的に追い込むDV女(38)に豹変する始末。世の生き地獄で見つけた唯一の希望が「安楽死」。その日まで子供への性犯罪がない社会を想像・創造する

20 スターを見て、闇に徹しようと改めた

中田敦彦さん(以後、敬称略)のYouTube番組『Win Win Wiiin』で、コムドットやまとさん(以後、敬称略)がゲスト出演した回を観て、今最も勢いのある新世代のユーチューバー(仲良し男子5人組)の存在を初めて知った。自分とは対照的なキラキラ輝くスターを見て、私は「闇」としての役回りを果たそうと改めて思った。

 

 

コムドットは特に10~20代の若者(男女比率5:5)から支持を得ていて、2018年の発足からわずか3年ほどで300万人以上の登録者を集め、本を出しても40万部突破、ファッション誌複数の表紙を飾るなど、めまぐるしい栄光をもたらしている。

 

 

気の合う仲間の存在と、「地元ノリを全国へ」という熱い想いが、活動の原動力になっているという。自分たちがやってることは最高に楽しいという自信。ファンベースを身近な人から固め、原宿の街頭で登録者を増やし、炎上戦略やSNSなどを巧みに駆使して集客。彼らにしかないものと、現代にあるツールを上手に掛け合わせて成功を収め続けている。

 

 

その道のりを聞いただけでも「スゴイなぁ今時の若者は」と感心した……。しかし、子どもの時に言われて「は?」と思っていた年寄りの決まり文句を頭の中で呟いた自分に軽くショックを受けたことは否めない。

 

 

この複雑な気持ちは、「ただ単に自分より年下の人と比べた時に自分の老いを感じた」と一言では言い表せない。以下のような気持ちが混じっているからだ。

 

・まず、自分が世の中を良くしようとガムシャラに頑張らなくたって、こうやって新しい世代は新しい風を吹かせていくのだ、と肩の力が少し抜けるような感覚がある。

 

・でもやはり、彼らが生き生きと活躍できる環境を先祖や家族や世界中の先駆者たちが作ったうえで成り立っている部分もあるわけだから、どの世代も志を高くして活動することが、次の世代への貢献になるということを改めて実感する。

 

・しかし私は、日本のスタンダードからするとあまりにも「訳あり物件」なため、表舞台に立ってキラキラ輝く道は、とうの昔に閉ざされているという、わびしさもある。

 

 

コムドットやまとが言った「おせぇよ時代。」というセリフ。実は、私も10代の頃から今もずーーーーーと頭の中で言い続けている。だけど、それを生きている内に言えるのは羨ましい。

 

私の場合は死んだ後も、私が表現しているこ・思い描いている世界が、社会から受け入れられるまでに相当の時間がかかるだろうと思ってる。「理想が高すぎる」とよく言われるが、「逆だ。世の中の理想が低すぎるだけ」と本気で思っている。

 

でもヴィンセント・ゴッホ然り「芸術家とはそういうものだ」と思えば、生きているうちに社会から受け入れられることが全てではないことも明らかだ。

 

個人は常に前衛的で、社会の最先端に立っているが、社会現象が起こるには段階やタイミングっていうものが必要だ。

 

もちろん「生きているうちに(しかも若いうちに)、時代が追いついてきてくれた感」を早くも覚えられるなんて、恵まれているなーと羨ましく思う。

 

では、私も表舞台でキラキラ輝きたいか?と自問すると答えは「NO」だ。決して闇に生きたいわけではない。できることなら、表舞台でキラキラしていた方が純粋に楽しそうだと思う。

 

でも私は、ずっと闇の中で生きてきたから、今更スポットライトを当てられても困るのだ。どうすればいいか分からないくらい混乱して、消えてしまいたい衝動に駆られる。

 

幼少期も、経歴も、人間関係も、漆黒。太宰治の言葉を借りれば「恥の多い人生でした」。誇りも、自信もなく、人に認められることを密かに望みながら、見つけられた途端、恐怖心で自分の存在を消したくなる。

 

でも、星の輝きに気づくために暗闇が必要なように、私の今世の役回りは「スターを引き立てる闇なのかな」と無理矢理にでも己を美化させることで、なんとか自分を肯定しようとしている。

 

万が一、時には調子に乗り過ぎたスターたちが、自らの言動を反省する機会があるとしたら、もしくはその前に、私が反面教師にでもなれたら幸いです。

 

世の中、光が眩しいほど、闇が深く暗い。私も若い頃はとにかく、前向きに頑張ってきたけど、結局、癒えない心の闇からは逃れることはできなかった。

 

コムドットやまとの話を聞くと、仲間への愛や、家族への愛が強いことがわかる。なので、私みたいに簡単には根が腐ったりしないんだろうなと思う。

 

でも、人生、いつ何が起きるかわからない。私だってわずか4歳の年齢で、父親からパンツの中に手を突っ込まれて陰部を触られ、その後の人生がグッチャグチャになるなんて、3歳の頃は想像だにできなかったはずだ。

 

コムドットのメンバーが今、青春を謳歌できているのも、環境が彼らに対して優しかったということは大きいのではないかと想像する。

 

でも人生、災難は突然起きる。そういう時、既に苦しみを経験している者が、聞き手役にまわることが多い。さほど苦しんだことのない人は、苦しみを共感するキャパシティが育ってないことが多いからだ。

 

私はそういう、ピンチの時に大切な人の役に立てる人間でいたい。そのために私が受けた虐待経験が必要だったとは思わない。ただ、もう起きてしまった過去による私の苦しみの深さをどうにか活用するなら、大切な人の辛い気持ちを聞いてあげることくらいしか思いつかない。私が闇に生きるとは、こういうことなんだと思う。

 

輝く「スター」を見て、その対極にある「闇」として、己の役回りをより一層意識する一日だった。

 

PS

コムドットの動画をちょっとだけ覗いてみて早速「実にいい」と思ったことがある。それは、コムドットやまとが涙脆いということ。仲間からの手紙を読んで、感動が極まり涙を流す。他のメンバーもそれを温かく受け入れているようだ。

 

昔の男子は特に「泣くな(感情を出すな)」という教育を受けてきているが、これが物凄く、男性を暴力的にしてきた要因だと私は確信している。

 

感情を押し殺した分、それをどこかで発散させなくてはならなくなり、それは大体、家庭内の弱い立場の者に矛先が向けられる。妻へや子供への性的虐待や暴力に繋がっていく。機能不全家庭で生まれ育ち、現役DV女の私としては、その連鎖が痛いほど分かる。

 

私も、四半世紀にわたって押し殺してきた感情の分だけ怒りが溜まっていて直ぐに爆発するが、その後に自己嫌悪で泣く。そうやってストレスを発散させているかもしれないと思った。「涙活」という言葉があるように、泣いたら多少はスッキリする。

 

しかし、私の怒りの矛先が向けられる彼氏は泣きたくても泣けない。そんな彼に悲しみや怒りをこれ以上溜めさせないように、私は他の方法でストレスを発散させなくてはならない。このブログが、少しでもその足しになればと思って続けていく。

 

少年よ、涙腺を緩めてけ!Let boys cry and be compassionate!