安楽死に生きる

「恵まれた家庭で特別な愛情を受けた」と思い込もうとしてきたが、実際は父の強制わいせつ等を4歳から受け始め、母からも体罰など受けていた。思い返せば幼児期からあらゆる精神症状が出ていたが、自覚し始めたのは20代後半。治療を続けるうちに「虐待」を徐々に認めることができた。すると私自身も弟に性的虐待等をしてきたことに気づいた。現在は、恋人を言葉の暴力や浮気などの裏切り行為で精神的に追い込むDV女(38)に豹変する始末。世の生き地獄で見つけた唯一の希望が「安楽死」。その日まで子供への性犯罪がない社会を想像・創造する

20 私は近親姦の加害者:弟へ性的侵害

私は近親姦の加害者:弟へ性的侵害

 

弟の性器に初めて触れて驚く

 

私より2歳下の弟は幼児期、よく下半身を丸出しにして走り回っていた。

 

当時はそのことを疑問に思っていなかった。

 

私はある日、何を思ったか、両親の寝室のベッドの上に座った状態で下半身を露出していた弟の男性器を指で突っついた。

 

すると弟はケラケラと笑った。

 

私はその反応に驚いて、もう一度、指で突っついた。

 

すると同じように弟はケラケラと笑った。

 

弟の反応は私にとって衝撃的だった。

 

まともな性教育は受けたことなかったが、

 

男の子の「おちんちん」が女の子の「おまた」に匹敵する場所くらいの認識は自然と身についていたはず。

 

その場所を他人に触れられて笑える神経が不思議でたまらなかった。

 

それは私が父親から触られた時の反応*1と真逆だった。

 

この時、弟は2歳くらいだったと思う。

 

この後、年を重ねるごとに、私は弟への性的侵害をエスカレートさせ、暴力的になっていった。

 

「ク○ヨンしんちゃん」のマネ

小学生に上がると私は、当時から問題視されていた「ク○ヨンしんちゃん」から影響を受け、弟の性器に像の目と耳を油性マーカーで描いた。

 

2回目に同じことをしようとした際、弟は明らかに嫌がって逃げた。

 

その時の私の正直な気持ちは「つまらない」だった。

 

つまらないの対語は「面白い」だ。

 

私は他人の性器にメーカーで落書きすることを「面白い」と思うまで感覚が麻痺していたのだ。

 

しんちゃんが自分自身の性器に落書きしたのを他人に見せびらかす行為がまずオカシイが、その結果、私は弟の性器を汚した。

 

ちなみにク○ヨンしんちゃんを知る前から我が家では「バカ殿」を一家揃って両親の寝室にあったテレビで鑑賞していた時期があった。

 

今考えると不思議だが、当時はみんなで「バカ殿」を観ることを楽しみにしていたし、笑っていた。

 

私は学校で「変○おじさん」のダンスをモノマネしていた記憶もある。

 

「ク○ヨンしんちゃん」にしても「バ○殿」にしても「変○おじさん」にしても「あまり評判は良くないけど面白おかしいから憎めないキャラクター」という位置付けにされていて、「性犯罪者の言動」という認識は子どもの頃はなかった。

 

性的侵害がますます暴力的に

その後、私が犯した性的侵害は更に暴力的になった。

 

弟の性器への扱いは更に悪質なものになった。

 

小学校中学年の頃、私はカンチョウや電気あんまを漫画で覚え、弟に対して一回づつやった。

 

弟の反応は覚えていない。

 

この行為は面白さの追求というよりも「姉」として弟よりも上に立ちたいという意識も関連していて、その力関係を確認する術の一つであったと思う。

 

背景としては、ある出来事も重なっている。私は弟とじゃれ合っているうちに、調子に乗って乱暴をエスカレートさせた際、「お姉ちゃんでしょ」と年上の友達に叱られた。このことがショックで、その時から弟から物理的・精神的な距離を置くようになり孤立した。「お姉ちゃん」はなにかと我慢しなくてはならないことが多いなら、少なくとも弟を従わせないと益々不利だと思い、それまで名前を呼び捨てにされていたのを「これからはお姉ちゃんと呼びなさい」と命令したのを覚えている。

「性犯罪は性欲求にのみものづく行動ではなく、支配やパワーにまつわる問題であること。そして女性や性に対する価値観の歪みや、他者との関係性における認知の誤りが引き起こす行為であること。加害者が求めているのは性的欲求の充足ではなく、むしろ優越や支配の感覚、接触の欲求、あるいは尊敬や愛情を得たいという欲求であることさえある」という文章を読んで、当時の自分を言い表していると感じた。(山本潤、「13歳、『私』をなくした私」)

問題行動

弟への身体的な性加害は以上だが、精神的な苦痛は加え続けた。「お姉ちゃん」という立場を利用して、弟一人を自分の味方に付け、もう一人の弟を仲間外れにするいじめをした。これは一回限りではなく、少なくとも数週間以上は続いた。いじめられた弟は悲しそうだった。このいじめはいつからか辞めた。そして相変わらず仲良しの弟ふたりに対していつからか「ゲイだ」「ゲイになる」と言い始めた。この嫌がらせ行為は何年にも渡って行った。ある日突然、弟の一人が怒って「もうやめて!」と大声で訴えたことに衝撃を受け、それ以来そのような発言を慎んだ。弟があの時にはっきりと抵抗をしなければ、私は自分の孤独心や嫉妬心を紛らわすために、弟たちの気持ちに無頓着であり続け、虐待の言葉を悪気もなく言い続けていただろう。

 

*1: