『きんしんかん:性加害のニワトリとたまご』

ある本がきっかけで、逃げるように東京に移住した日系アメリカ人の斎氣心。初めて心を開ける人に出逢うも、彼にDVをしてしまう。確執が長年ある母親のような自分に絶望した。原因は、母の「躾(暴力)」と女性ホルモンだと考え、低容量ピルYAZを服用したが、副作用で臨死した。古今東西の代替医療による精神治療を試行錯誤する中、幼児期に父親から受け始めた猥褻を自覚する。それでも問題が雪だるま化するため、両親に虐待の事実を問いただした。しかし己の被害を自他に明示できた瞬間、自分もきょうだいに性的加害をしていた記憶が蘇り...

26 信じないと殺ってらんない

「暴力が伴わない性行為」が軽視されるのは、「愛情表現」と履き違える人が多すぎるから。

 

関係性で立場が上の人が「愛情表現」を主張しても、立場が下の人が如何なる「不快感」を行為の前・途中・後に覚えたなら、それは「暴力」だ。

 

日本では、被害者(立場が下)の者がいくら抵抗・抗議しても、加害者(立場が上)が「愛」「無知」を主張すれば、無罪になる。

 

「被害者を罰して、加害者を野放しにする伝統」を守り続けてきた。

 

「先祖代々、近親姦・強姦等によって繁殖・繁栄してきた国」は、子どもをはじめとする弱者を犠牲にして成り立ってきた。

 

子ども(弱者の象徴)の権利を守ることへの抵抗感が、未だに集合意識に根強いのは、伝統を受け継ぐ子孫としての存在意義に危機感を覚え、その反動が作用するからなのだろう。

 

一方で「少子高齢化」も著しいが、これは問題なのではなく、当然の結果だ。

 

親(強者)に犯されても助けてもらえない生き地獄のような世の中に、子どもを産み落とすほどリスクが高いことを続けるほど、人間は落ちぶれていないという、不幸中の幸いではないだろうか。

 

子ども(弱者・未来の大人)を尊重できない停滞した国はこのまま衰退して自然消滅するがいい。

 

手放すことで、新しいものを手に入れる、創造的破壊。

 

私が幼児期から感じてきた精神の破壊も、未来の再生へのヒントになると信じないと殺ってられない。