『きんしんかん:性加害のニワトリとたまご』

ある本がきっかけで、逃げるように東京に移住した日系アメリカ人の斎氣心。初めて心を開ける人に出逢うも、彼にDVをしてしまう。確執が長年ある母親のような自分に絶望した。原因は、母の「躾(暴力)」と女性ホルモンだと考え、低容量ピルYAZを服用したが、副作用で臨死した。古今東西の代替医療による精神治療を試行錯誤する中、幼児期に父親から受け始めた猥褻を自覚する。それでも問題が雪だるま化するため、両親に虐待の事実を問いただした。しかし己の被害を自他に明示できた瞬間、自分もきょうだいに性的加害をしていた記憶が蘇り...

子どもへの"愛撫"が暴力である理由(実体験)

私は4歳の時に父親から性器を触られ、非常に気持ち悪かったものの、それが「愛情表現だ」と思い込まされ、自分でも気持ち悪いほど「お父さん子」になりました。そんな私は悪化する精神疾患の治療の過程で、父親から体を侵害されたうえに、その時に覚えた感情を否定された記憶を押し殺していたことに気づきました。そして封印していた記憶や感情によって、自傷行為や他害行為をやめられない精神状態におちいっていたことが判明しました。父親がなんと言おうと、自分で自分をいかに騙そうと、嫌なことは嫌であり、殴る蹴るや脅しが伴わなくても、あれは暴力だったと言うことを認めざるを得ませんでした。

 

子どもに与えられたのは〝愛〟ではなく、暴力です。加害行為であり、搾取であり、心と体を踏みにじる行為で、人権そのものを侵害しています。子どものその先の人生を大きく変えてしまうかもしれないほどの、苛烈な暴力なのです。

斉藤章佳(2020)『小児性愛という病ーそれは愛ではない』p.22

 

小児性愛という病』を読みながら、自分の性被害・性加害を振り返えり、子どもへの性行為は、大人がどのように解釈しようと暴力である理由を解いてみました。⚠︎フラッシュバック注意。

 

私が覚えている限りでは、4歳の時から始まった父親からの強制わいせつは、とてつもなく気持ち悪くて、怖くて、理解不能で、私は本能的にその場から逃げました。それなのに翌朝、母親から「お父さんからメゴメゴ*1してもらったんだって?よかったねぇ」と言われギュッと抱き寄せられたのです。私は混乱の余り、言葉を失いました。

 

ものの数時間の間に、天と地がひっくり返った直後にもう一度、天と地がひっくり返り、何事もなかったかのように日常が過ぎていったのでしょうか。その後の記憶はすっかり抜け落ちています。きっと朝ごはんを食べたり、いつもと変わらない日常が過ぎたのだと思いますが、全く覚えていません。きっと「あの記憶」に比べれば、その他のことは全く無意味で無効であるかのように、敢えて記憶するに値しなかったのでしょう。

 

でも、事ある毎に、私は「あの記憶」を思い出しました。私が4歳か5歳の時、初めて母親に嘘をついた日。母親から怒鳴られビンタされた後、真っ暗なクローゼットの中に閉じ込められた私は、その中で猥褻雑誌の山を発見し、それを初めて見たものの、父親の物だとすぐに理解しました。そして、こんな陰湿な趣味を持った父親が「あの時」についた嘘に関して母は気づきもせず喜んでいたのに、あの時に父親から学んだ嘘を私が真似たら体罰を加える母親への不信感と憎悪が芽生えました。

 

天と地が三度目にひっくり返された瞬間でした。結局、父親が「あの記憶」の中でやったことは「やっぱり、良くなんかなかった」ということが母親の反応からも明らかになったものの、母親はそのことに気づいていないため、父親は罰せられず、私だけ罰せられたのでした。

 

私は百歩譲って父は悪気がなかったのだろうと思い込むことにしました。しかし、母親に関しては、正論を並べて偉そうに怒鳴って体罰を加えてくる度に、父親に言いくるめられるほど間抜けであることが思い出され、私は彼女を嘲笑うことで自尊心を保ちました。

 

同じ不快感であっても、母の体罰は身体的な痛みが伴い、分かり易い暴力だったので、敵視しやすかったのだとも思います。それに父親が私にしたことは「よかったこと」という認識は少なくとも、両親の間では共通していることになっていたので、「子ども」として見下されていた私はそのことに関して口出しできませんでした。

 

私はわずか4、5歳にして、父親から犯されたことがきっかけで母親との間に深い確執が刻まれました。

 

この頃から「あの記憶を覚える前の無邪気な私」は無効とされ、記憶のどこか深い所に封じ込められたのでしょう。「平凡な日常に関連する記憶」がスッポリと抜け落ちているのは、そんな幻想はまやかしでしかないことが立証されたからでしょう。

 

そのためか、私の記憶はたいがい「あの記憶」を呼び覚ますものばかりです。「フラッシュバック」と言われている現象です。私は表向きでは長年「ただの悪夢」だと思い込もうとしてきたのですが、「実際にあったことだ」ということを私の中の誰かが事あるごとに「あの記憶」を引っ張り出して、証明しているかのようです。あるいは証明するために「あの記憶」が「性犯罪」と認識させるために危険な経験を「追体験」として何度も繰り返えさせられてきたように思えてなりません。

 

私は30年以上に渡り、心身共に傷つく体験を繰り返し、その度に「あの記憶」が思い出されたため、もはや「ただの悪夢」では片付けられなくなりました。実際に「本当に起きたこと」だと認めることができた後も、私は気持ち悪いほど「お父さん子」でした。そして怒りの矛先は母親に向けられたままでした。

 

状況の変化が起きたのは、30代で受けた心理療法ゲシュタルトセラピー」がきっかけでした。私は当時から交際男性に対して言葉や精神的な暴力(DV)を加えてしまうことが悩みで、その怒りの現れ方が母親から受けた虐待と似ているため、私は母親への憎しみを解決する目的で参加しました。

 

しかし、私が両親から受けたトラウマの話をした後、セラピストは私に「まず、父親へ怒りをぶつけましょう」と言い、私は困惑しました。母親への怒りを解消したいのに、父親に?父親にも怒りを感じたことはあるものの、母親への怒りほどではありませんでした。私はセラピストに言われるまま、ぎこちなく、父親への怒りの言葉を発しました。半ば言わされているようで、気持ち悪かったのを覚えています。心がこもっていませんでした。

 

セラピーの後に「でも、父親からは虐待を受けたとは思っていないんです」と私が言うと、セラピストが一瞬、絶句しての目が点になったのを見て、「私、今、なんか変なこと言ったかな。暴力を受けたことがないから虐待だとは思えないという意味だったんだけど?」と思いました。

 

「父親からされた気持ち悪いこと」は殴る蹴る脅しなどの暴力が伴わなかったため「虐待」だという認識が遅れていました。

 

でも、今なら、父親の強制わいせつは「愛なんかではなく、暴力であった」ことがはっきりと認識できます。それは、30年以上の間で私が、父親から猥褻行為を繰り返される度、母親から体罰を受ける度、好きでもなんでもない男たちから性被害を許す度、私が幼年期から思春期にかけて弟への性的・精神的加害を行動化したことを思い出し自己嫌悪に陥る度、現在の交際男性に言葉の暴力や浮気などの裏切り行為で精神的に追い詰めながら自己嫌悪が悪化する度、慢性的な躁鬱病に悩まされる日常の中で、「あの記憶」が常に呼び覚まされるからです。

 

私の人生が狂ってしまったのは、悪夢のような「あの記憶」が紛れもない「現実」であったにも関わらず、あの時に感じきれずに押し殺した「不快感、恐怖、混乱、不信感、嫌悪感、不安」などの感情を解放することができなかったから。それが30年以上もの間、心の奥の奥まで溜まりに溜まって、蓋をすることができないほどパンパンになり、何かのトリガー(引き金)で無意識のうちに爆発し、自傷行為や他害行為を繰り返してしまう。

 

大人がなんと言おうと、子どもへの性行為は「愛」から生まれる行動ではなく、支配欲という暴力的なエネルギーが源になっている。そのことを私は人生をかけて証明したようです。

 

父親がいくら「愛情表現だ」と主張しようと、騙された母親が「よかったね」と私を抱き寄せようと、私が「お父さん子」という人格を作り上げようと、父親からされた「気持ち悪く・怖い・理解不能な経験の記憶」を完全に払拭することはできませんでした。それどころか、あの記憶は30年間以上の時間をかけて、「あなたは父親の行動に傷つけられましたよね?違いますか?これでも認めませんか?どうですか?」と私に認めさせるかのように、私は自分で自分の心身を傷つけ、あの恐怖を追体験してきて、今もこのように苦しんでいます。

 

子どものことを「本当に愛している」のなら、どうか、子どもに手を出さないで。

 

代わりに、自他との間にある見えない境界線の存在について認識し合おう。NOという練習をして、自他のNOを尊重しよう。

 

それでも、子どもに性的興奮を感じるあなたは、高い確率で、幼い時に身近な大人から性的なことをされたのかもしれません。またはなんらかの形で自尊心を傷つけられ自信がなくなっているのかもしれません。この課題に特化した精神科医もいます。メッセージをくれたら、紹介します。

 

子どもは未来です。私みたいに、加害者にまでなってしまう被害者を増産させないでほしい。

 

*1:「可愛くてしょうがない」という新潟県の方言らしく、「愛撫する」という意味で父が使っていた言葉