『きんしんかん:性加害のニワトリとたまご』

ある本がきっかけで、逃げるように東京に移住した日系アメリカ人の斎氣心。初めて心を開ける人に出逢うも、彼にDVをしてしまう。確執が長年ある母親のような自分に絶望した。原因は、母の「躾(暴力)」と女性ホルモンだと考え、低容量ピルYAZを服用したが、副作用で臨死した。古今東西の代替医療による精神治療を試行錯誤する中、幼児期に父親から受け始めた猥褻を自覚する。それでも問題が雪だるま化するため、両親に虐待の事実を問いただした。しかし己の被害を自他に明示できた瞬間、自分もきょうだいに性的加害をしていた記憶が蘇り...

性犯罪者・加害者としてどう生きれば

私は、4歳から性被害者になった後、性加害者にもなった。

30代後半になっても性被害を受けるし、彼氏への暴言を止めることが難しい。

 

私を加害者にしたのは、紛れもなく、幼児期から続いた両親からの虐待だが、私以外の人間が聞いたらそれはただの「言い訳」と捉えられるだろう。

 

例え、万人が私を許してくれたとしても、私自身が自分を許せない。

 

社会は私を守ってくれなかったくせに、虐待への正常な反応から私が精神障害者になって、他人を傷つけることしか知らなくても、その責任は「私」が追わされる。社会全体・人類が積み重ねてきた歴史の責任を私個人が負わされる。

 

このことを電話相談員に話した。

 

「カウセリングを受けているか」と聞かれ、

 

「経済的な理由でいけていない」と説明したが「それは通院しないための言い訳」だと思った。

 

通院して少しでも「回復」しても、その先に「絶望」が待っているなら、頑張って通院する意味なんてないだろうという声が私の中にある。

 

ということは、私のカウンセリングの目的は回復ではない。

 

私の目的は、安楽死をするまでに、これ以上、身近な人に加害をしないで済む精神状況でいること。

 

社会とか、未来とか、子供たちの将来のためとか、そんなデカイ話をしている場合じゃない。

 

私は私自身の状況をどうにかしないとならない。