「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

【25】アンガーログ:トイレサンダルで思い出す男尊女卑と、打開策

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昨夜、同棲中の彼が風呂上がりにユニットバスからでた後、私がトイレを使おうとすると、白いトイレサンダルが濡れていたうえに汚れていて、キレた。

 

「汚い!拭いたばかりなのに!あんたは汚すだけ汚して掃除をしない!」

 

私はイライラしながら、ボロ切れでサンダルの汚れを拭いた。彼は困ったような顔をしている。

 

トイレサンダルは、汚れが目立つから小まめに拭いて綺麗に使おうと思い、白を選んだのに、彼は汚れに気付いてさえいない。

 

部屋中の掃除を含め、トイレサンダルが汚れるたびに拭くのはいつも私だ。

 

彼に頼んだらやってくれることもあるけど、頼むより自分でやった方が早いと思うのと、説明するのが面倒で、自分でやってしまうことの方が多い。

 

彼にしてみれば、気づかなかっただけで、気付いたとしてもボロ切れがどこにあるかわからないし、やっても文句を言われ怒られるから下手に動けない、というところだろう。私にも非があることくらい、冷静になればわかる。

 

いつも私ばかりと思うと余計イライラする。彼はあまり文句を言わないが「いつも僕ばかり」と思っていることがあるだろう。例えば、外面の良い私に自分だけ怒鳴られることが一番辛いらしい。

 

この部屋の家計を主に支えているのは彼だ。フリーランスで家にいることが多い私が、彼の分の掃除くらいもう少し気持ちよくしてもいいかもしれない。

 

が、私の心はそうは思わないみたいだ。

 

汚れたトイレサンダル、彼に汚された部屋を見るたび、

 

〝稼ぎが少ない女のお前が他人の分まで掃除をするのは当たり前だ〟

 

という声が無意識的に聞こえてくる、のではないかと思う。

 

思い返せば、実家で一方的に汚すのは父で、掃除をするのは母だった。

 

でも母は家事も育児もしていて、父の事業を手伝ったり、バイトもしていた。

 

大黒柱は父かもしれないが、〝家事に協力しなくてもいい〟という暗黙の権利があるように見えるのはなぜ?

 

私が短大生の頃、父の事業が芳しくなくなり一日中家でゴロゴロしていた時期も、母は朝も夜もバイトをしていた。

 

父の兄がタバコのヤニで汚したボロボロの壁にパテを塗って、ヤスリをかけ、ペンキを塗ったのは私だ。リビングもダイニングもトイレの天井の壁も私が塗り替えた。

 

そんなある日、父親に「洗濯物を廊下に脱ぎ捨てないでバケツの中に入れて」と私が頼んだら、父から逆ギレされたことがある。

 

断っておくと、父は亭主関白という感じではなく、少なくとも口先では「お母さんが一番」「家族が一番」というようなことを頻繁に口にするような人だった。

 

厳格な母とは対照に、温厚でひょうきんで明るい印象を受けていた。もともとの性格もあるだろうが、仕事にだけ集中しればよく他は母に任せていたから、マルチタスクを強いられ休み時間のない母より精神的に余裕があっただけなのかもしれない。

 

完璧な人間なんていない。父も精神的に辛い時期だったんだろう。

 

でも父から逆ギレされたことは頻繁ではないがその後もあった。

 

東京にある祖父母の家に私と弟が住みながら大学に通ったいた時期。祖父がなくなり、葬儀のため父がアメリカから来ていた。

 

図書館に向かおうとした私を父が止め、階段の掃除がされていないことを不機嫌そうに言ってきたので、私は「それなら弟が起きたらそのように伝えて」と言った。すると父は怒鳴りながら手を挙げた。

 

その時の階段は汚れていたのかもしれない。でも私は普段から掃除をしていた。弟が掃除をしているのを見たことはなかった。なのに何故?いつまでも寝ている弟に掃除を頼ます、図書館に行こうとする娘に掃除の責任をいきなりなすりつけるのか。なぜ弟には掃除しろと言われないのか。

 

それは明白だった。私が女であり、弟は男で、父は男尊女卑だからだ。

 

そんなの思い過ごしだろうと思われるかもしれない。被害妄想だと。

 

私もそう思いたい。でも残念ながら、このように私は許されないのに弟は許されることは他にもたくさんあった。そもそも父の母が既に男尊女卑だった。

 

彼女は弟には「男の人は凄いね」と言い、私には「女のくせに」といった。男だからと闇雲に凄いというのも可笑しいが、自分も女のくせに、孫に「女のくせに」という神経が理解できなかった。大正生まれの人はそのような教育を受けていたのかもしれないし、男尊女卑はもっと前から社会に根付いているのだろう。

 

私自身も知らないうちに男尊女卑な考え方が刷り込まれているかもしれないし、相まって女尊男卑な考えさえも芽生えている。

 

でも、いずれの考え方も、お互いを対等にみれないという問題を抱えているため、苦しみから逃れられない。

 

でも現代を生きる私は、このような片方を無条件に見上げたり、片方を見下したらする考え方に違和感を覚えていて、考え方を変えないとならないことに気付いている。

 

女も男もそれ以外の性別やジェンダーも対等にみれればいいのに。そのために、なにができるだろうか……。

 

とにかく今の私は、自炊もしたくなければ、掃除もしたくない。社会が女に勝手に一方的に「できて当たり前」と、ただ働きを強いてきたことに対して、抵抗感が生まれているのは当然だと思っている。少なくともアイスランドでは女性の90%以上が同じような思いでストライキを起こし、政治や経済を変えた。

 

女性は家事も育児も仕事もこなして当たり前の時代になっているのに、男性は〝仕事だけしていればいい〟なんて、おめでた過ぎる発想が通用するのはそう長くはないはずだ。

 

いずれにしても、革命は自分の身近なところから起こしていくしかない。

 

今の私にできる小さな革命は、

・家事代行を雇って、少しでも気持ちに余裕を持つこと

・気持ちに余裕がある状態で、彼にも掃除を優しく頼むこと

 

言うは易し行うは難し。あとは行動あるのみだ。