「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

【13】「善友」の反対、避けるべき人

度々、人生につまづく時にお世話になっている和尚さんの悩み相談、YouTubeチャンネルの「大愚和尚の一問一答」。昨日も聞き流していたら「善友(ぜんゆう)」という言葉が気になった。*1 

 

良き友と書いて「善友」。それは、友の心が不安定な時に、守ってあげられる人のことをいう。その説明を聞いていると、私の彼氏のことだ!と気づいた。

 

私は常に恐怖心を根底で感じていて、気性が荒く、情緒不安定で、彼を振り回してしまうが、彼は平常心を保ちながら、私に安心感を与えてくれる存在だ。「仏のような人だな」と常日頃から想ってはいたが、そうか、彼は私の「善友」だったんだ。

 

嬉しくなり、私は彼に電話した。

「もしもし」

「もしもし、あなた仏教に詳しい?」

「いいや」

「そうなんだ。今、和尚さんの話を聞いていて、仏教の教えの中であなたのことが出てきたから、もしかしたら、と思って。」善友の説明は省略した。

「知らんよ」

「じゃあ、あなたは天才ね」

「そうかねぇ」

「私、あなたのことが大好きです」と伝えると、彼は少々迷惑そうな返答をした。

「あんまり、こういうこと言わない方がいいかな」と聞くと、彼は「うん」と言った。

彼は「綺麗事」を嫌う人だということは私も承知の上だった。

その理由は「善友」の反対の「悪友」の特徴だからだろう。

 

大愚和尚の記事*2には「善友」の反対「絶対につきあってはいけない4種類の人」について書かれている。

 

善友と悪友の見極め方については、友の「言葉ではなく、行為を見る」「言葉ではなく、成したことを見る」だという*3

 

避けるべき4種類の人とは、次のような人です。

 

①何でも取っていく人

自分が与える時は少なく、もらうは多く受け取ろうとする人。自分の利益の身を追求する人。

 

②言葉だけの人

行動が伴わず、口先だけの人。「あのときは、ああしてあげた」と過去のことを恩に着せて、友情を装う人。「今度、こうしてあげるから」と未来のことに関して友情を装う人。なすべきことが迫ってくると、「都合が悪い」と逃げる人。

 

③甘言を語る人

目の前ではお世辞を言い、裏では陰口をたたく人。うわべだけのうまい言葉を語って、中身がともなわない人。

 

④遊蕩ゆうとうの人

飲酒、麻薬、ギャンブルに溺れる人。

 

上記で私が最も耳が痛いのは2番目の「言葉だけの人」。

 

私は、言葉では彼氏に「あなたのこと大好き」というけど、行動はどうだろうか。

 

私は交際12年の間、彼に怒鳴ってばかりで、彼を無気力にし、浮気を繰り返し、精神的に追い込んだ。過去のことを恩に着せる言葉も言った。

 

私自身、自分のことが嫌になるほど、最低だ。

 

彼がこんな私をいまだに見捨てないでいてくれているのは、彼がそれほど情が深い「善友」なんだと思う。同時に私がそれほど、巧みに偽りの自分を演じてきた証拠でもあるのだろう。

 

彼は常に不安定な私に寄り添ってくれているが、そんな器の広い彼も限界に達してきているのは分かる。私の言動が伴わなかったため、彼に不信感を植え付け、彼を苦しめている。

 

私はこれからどんな人間になればいいか。

 

大愚和尚によると

付き合うべき4種類の人とは、次のような人です。

 

①助けてくれる人

元気がないときに守ってくれる人。正常な判断ができなくなったときに正しい行動に向かわせる人。

 

②苦しいときも楽しいときも一様である人

窮地に陥っているときに、見捨てない人。辛いときも一緒にいてくれる人。

 

③自分のためを思って話してくれる人

悪い道に入らないように忠告したり、大切な情報を教えてくれる人。

 

④同情してくれる人

上り調子のときには、一緒に喜んでくれる人。一方で、落ち目になったときに心配してくれる人。人から悪口を言われたときに、弁護してくれる人。*4

 

上記の中でも、2番について特に思うことがある。

 

私は長年「彼と付き合う資格がない」と思っている節があった。優しすぎる彼は私から離れないだろうから、私から離れた方がいいのではないのか。でも意志が弱い私は、浮気を利用して「強引に連れ去られた」ことにすれば、彼から離れられるかもしれないという考えが頭をよぎった事もある。

 

自分がもともと感じていた自己嫌悪感(近親姦被害者としての自分)や罪悪感(近親姦加害者としての自分)を、浮気をすることで、麻痺させようとした。男社会で男に許されたことをすることで、私のトラウマや罪悪感が正当化されるような錯覚に陥っていた。浮気も「男の特権」のように私の目に映った。しかし、それを実践する度に、彼への想いは強まる一方で、虚しさや自己嫌悪が増した。

 

浮気を繰り返してわかった。私が別れたかったのは、彼ではなく、自分だったというkとを。自分と別れるために、彼と別れなくてはならないと思い込んでいたが、それも私の甘えだった。

*1:

*2:

*3:

*4: