『きんしんかん:性加害のニワトリとたまご』

ある本がきっかけで、逃げるように東京に移住した日系アメリカ人の斎氣心。初めて心を開ける人に出逢うも、彼にDVをしてしまう。確執が長年ある母親のような自分に絶望した。原因は、母の「躾(暴力)」と女性ホルモンだと考え、低容量ピルYAZを服用したが、副作用で臨死した。古今東西の代替医療による精神治療を試行錯誤する中、幼児期に父親から受け始めた猥褻を自覚する。それでも問題が雪だるま化するため、両親に虐待の事実を問いただした。しかし己の被害を自他に明示できた瞬間、自分もきょうだいに性的加害をしていた記憶が蘇り...

27「死ぬ権利」スイスでは非移住者も「安楽死」可

免責事項:私は自殺願望があるため、自分のために安楽死を合法的にできる場所・方法について調べ理解を深めるためにアウトプットしています。特定の人に死んで欲しいとは思っていません(他人のことを考えている余裕なんてありません)。自殺教唆*1は犯罪です。

 

どうか、安楽死を考えている人、または生きようとしている人の邪魔をしないでください。誰しも誕生することは選べなくても、寿命まで生き延びるも、死ぬタイミングを選ぶのも、個人の自由です。他人の生き方・死に方に口出ししないようご配慮いただければ幸いです。

 

 

「私は十分に劣化しました。身体が滅んでいくのを観察しながら、私は「空っぽだ」と思ったんです。」*2

 

そう話すのは、ALSの男性患者クレイグ・イーワート(Craig Ewert)。病気が悪化してから安楽死を真剣に考え始めたと言います。本当に実行したいのか、いつ実行に移すのか、妻と話し合った上で決めたそうです。

 

行う場所は、スイスのNGO団体「Dignitas(ディグネタース)」。

 

オランダ、ベルギー、米オレゴン州でも可能ですが、スイスでは法律上、唯一非移住者でも、安楽死ができます。

 

またスイスでは、どんな難病を抱えていなくても安楽死が選べます。しかしスイスのマスメディアが、自殺をしに来る人のことを「スエサイド・ツーリスト(自殺観光客)」というネガティヴな印象を与える言葉や報道をしたため、ディグニタースに批判が殺到。スイス当局は末期の患者にしか安楽死をしないよう、圧力をかけました。

 

このため、心臓発作を患う夫が安楽死したら、生きる糧がなくなるため同時に安楽死を希望していた身体的には健康な妻が該当しなくなってしまいました。

 

 

「スイスで安楽死の権利を得た日本人が思うこと」という記事を見つけ、安心感を覚えました。コメント欄にこんなにもたくさんの人が「安楽死に賛成」と書き込んでいるのが、新鮮であると同時に、自分が考えていることを代弁されているようで、心強いと感じました。「死にたい」という正直な気持ちに自信を持っていいんだ、と思いました。自分がただ根暗な人間なのではなくて、この世の中が暗過ぎるから、こうなってしまっただけで、正常な反応だ。生きることに絶望しても、死ぬことにはまだ前向きになれている、この人生での最後の希望がまだ残っている。そんな風に思えたら、自分のことが少し好きになれた。私は宣言する:安楽死する権利を行使する。

 

勇気が湧いた・共感した・代弁してくれたコメントの一部:

 

賛成です。生きたいと思っている人が肩身が狭くなる、楽して死のうとする人が増える、それは苦しんでいる本人にとってはなんのためにもならない議論であり、足踏みするだけのタラレバ議論です。誰のための議論なのか、もう少し考えてほしいです。不治の病などで苦しみ安楽死を希望する方などは、決して軽い気持ちでそれを訴えているわけではないとおもいます。信じられないくらい長い間、生きていく事への恐怖や苦痛と葛藤し、それでも精一杯前向きに生きようとした人の最後の訴え、唯一の希望ではないでしょうか。生きる権利なんて当たり前です、それと同様に、生き方=生の終わらせ方を選択できる権利があってしかるべきであり、それが安らかなものであって何が悪いのか、そうおもいます。

 

生きる事に大した理由なんていらないのに死ぬ事に三者を説得させる深い理由が必要なのが不愉快です。

止めた所で死にたい人間は何をしようが何を言おうがどんな手を使ってでも死ぬ。それも安楽死するよりも遥かに孤独に、悲惨にね。そうさせた張本人達がお葬式じゃお涙ほろり、ってか気持ち悪い。心底吐き気がしたよ。もう限界だ、死なせて欲しいって泣いてた人間に死ねと変わらない「生きろ」って暴言を吐いたくせに。気持ち悪い中身スッカラカンの綺麗事大好きな日本じゃ無理だろうけど、安楽死制度は必要な権利だと思う。

安楽死賛成です。医療の向上と共に生きたい人が生きられるようになったのはいいことですがそうでない人も生きられる世の中になってしまった。生きるのは楽しいことばかりではありません。生きたい人が生き、生きたくない人は安楽死というものが選択肢にあってもいいのではないかと思います。人に迷惑をかけてまで生きて意味があるのでしょうか?迷惑にも度合いがあります。かけていい迷惑もあると思いますがお互いが傷ついてまで生きる必要はあるのでしょうか!?当事者同士がそれでよしとするならいいですが共倒れするくらいなら、本人がそれを望むなら安楽死も選択肢の中に入ればお互いが救われる気がします。

 

認められるべきだと思います。病気である、健康であるに関わらず、どんな人にも選ぶ権利はあるのではないでしょうか。自分はどのように死ぬんだろうと想像するときに、どうしてもそれが穏やかであって欲しいと願わずにはいられません。どうしようもなく生きているのがつらいときに、安楽死が権利として認められていたら、それだけで心がどれだけ救われただろうと何度も考えました。生きる権利が誰にでもあるように、自らの死を選ぶ権利も誰にでも等しくあると思います。生きることだけが正しいわけじゃない。死は、確かに取り返しのつかないことだけどいつどんな形で訪れるのかわからないそれに恐怖しているよりも、自分で描いた最期を過ごせたら、それはひとつの幸せだと思います。絶望の中で巡り会う死じゃなくて、希望に向かうための死が安楽死という形であってくれたらいいのになと思います。

安楽死に賛成と言うより、安楽死は人の権利の1つだと思います。生まれる場所や環境は選べませんが、生き方、信仰、信条は他者に危害を及ぼさない限り、自由に選べます。ムシロ選ぶ権利があります。ならば、人生の終わらせ方、終わらせる時期も、他者に危害を及ぼさない限り自由であるべき。安楽死を認めないのは、人としての権利の侵害だと思います。くらんけさんが、最後の時まで良く生き、望みのままに死を迎えられるようお祈りして止みません。私も望むように良い生と死を迎えられるようになりたいと、希望して止みません。

 

 

安楽死に賛成です。犯罪が減ると思います。自分の最期を決めていれば、それまでの人生充実、納得して生きていけるからです。

 

「生きる権利」があるなら、「死ぬ権利」もあって然るべきだと思います。普段は人権、人権とうるさいくせに。

 

私は安楽死に賛成です。安楽死が選択肢の中に入ることで、国民の人生が豊かになると思います。もう生き地獄はうんざりです。

 

私は毎日生きているのが辛いので、日本で安楽死が認められる日が来てほしいです。近いうちに死を選択できると思ったら死ぬまでに何をするか考えました。少しポジティブな気持ちになれました。なので、死ねることはお守りになるというのにはとても納得できます。でも、死ぬ権利に合理性が必要なのは納得はいきません。もし、合理性がないと判断されて安楽死を拒絶されたら、私は自力で自殺する方法を考えます。

安楽死に賛成です。自殺とは生きるのが苦しくて苦しくて、その結果、生体としての生きるエネルギーを消失させるための大きな力を身体に与えて死ぬ必要があるのです。そこまで苦しんだ人に最後に更なる苦しみを与えて、それこそ残された人もそのことが頭をよぎって苦しくなります。「死への旅立ちだけでも安らかだった」となればまた違うと思います。ある程度の厳しい審査は、本人にもう一度見つめ直してもらうためにも必要かと思いますが、死の選択肢がないことは絶望しか生まないと思います。

安楽死は賛成です。人生の終わりをどうするかを決めるのは個人に与えられた最大の権利だとおもいます。生き残る人のために耐えがたい苦痛を耐える必要があるのでしょうか。

 

安楽死は認められるべきだと思います。今年の2月に死にたいと思うようになり、半年たった現在も波のように死への欲求がきます。理解されないと方もいるかと思いますが普通の日常を過ごさなくてはいけないけど、心の中は死を望む日々はただの生き地獄でしかないです。日本に戦争はありません。その代わりにこういった心に病を抱え、自殺を選べない人に対して死ぬより辛いことを押し付けてるのが日本です。自殺できないくせに馬鹿言ってると思うかもしれませんがそういう人は世の中沢山いると思います。自殺はダメとか心が弱いとか野暮なことは言わないでください。自殺した人の勇気、気持ちを馬鹿にしてはいけない。それだけは沢山の人にわかって欲しいです。その道しかない時に自殺するのだから。

私は安楽死に賛成です。患者を救うというのは生かす事だけが正解ではないと思います。

安楽死は中絶と同じく認められても良いと思います。医療が何のためにあるのか、「生命を生き長らえすため」ではなく、「人々が豊かな生活を送るため」という認識になったら理想かなと。。。私は、自分の最後は自分で決めたいと思います。後悔が無いように、声が出せるうちに、体が動かせるうちに、会いたい人、感謝を伝えたい人に目一杯気持ちを伝えて見守られながらみんなが幸せな気持ちで最後を迎えたいです。そのために、安楽死という選択は認められてもいいんじゃないかと思います。

 

 

自分は安楽死に賛成です。幸いなことに自分は健康な体で生まれてきて、今のところ健康な1人の学生です。だから安楽死をしたいと思う人の気持ちを完全に理解することはできません。でも、くらんけさんがそうであるように、障害のために迷惑をかけたくないから生きたくない、という人が多くいるのは事実です。死ぬことが悪というような日本の考え方も倫理的には大事ですが、一生懸命生きてきてそれでも辛いのに、生きなきゃいけない。それをさせるのも違う気がします。安楽死は悪でもなんでもない。安楽死は人として立派に生きた証拠だと思います。

 

安楽死に賛成です。早く安楽死について議論して法律を作ってほしいと思います。自分は体の筋肉が萎縮していく病気ですが、将来体が動かなくなったらどうしようかといつも考えています。でも安楽死が認められたら、生きるのが辛くなっても、楽に死ねると思ったら勇気をもって生きれると思います。長い間苦しんで生きるなんて誰も望んでいる人などいないはずです。安楽死に反対の人は結局自分が元気だから、他人事のように思っている人が多い気がします。命は尊いものですが、その命をどうすべきか自分で判断できる世の中になってほしいです。

安楽死を認めないのであれば、国が「その人が生きたいと思える措置」をとるべき。そうでないなら安楽死を認める。それに尽きるのではないでしょうか

この世に生まれたくて生まれたわけではありません。生まれたことに満足している人は良いですが、後悔している人もいます。人生の最期を自然に任せるのでは無く、自分で決められる権利を認めて欲しいです。

 

 

安楽死はまったく悪くない。その人その人個人の人生がある。幸せで豊かな人生もあれば、苦痛が多い人生もある。幸せな人が苦痛の人生を送っている人の人生の責任を負ってくれるなら、まだわかる。けど、幸せな人は、ネットで、テレビで、好き放題言い、自分はじゃあなにをするのかというのを聴いたことがない。ALSの死についても、じゃあ、安楽死を否定する人は、ALSの人のために、治療の薬かなにかを開発するための研究費用をどこまで出すのか。ぼくは治療費も研究開発費も出せない。出せない。だから死を認める。生きるのも認める。人の生死に関して他者がああだこうだ言うのは、馬鹿げてる。だけど、安楽死反対!と声高に叫ぶ人間がいかに無責任なのかをぼくは知っている。責任を負おうとしないくせに、なになにはだめ、これこれはいい。ふざけるな。とにかく、ぼくは安楽死、大賛成です。

 

 

*1:自殺教唆罪とは、「自殺意思のない方に、故意に自殺意思を生じさせることをいいます。自殺を決意させる方法には、特に限定はありません。」

*2:"I've deteriorated enough. You can only watch so much of yourself drain away before you kind of look at what's left and say this is an empty shell."