「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

28 「産まない・育てない選択」に迷いがない私の母性本能

結論:私は子供を生まない・育てない。

 

 

恥の多い人生を送って来ました。しかしそんな私も、4歳で父親から性被害を受ける前までは純粋無垢な幼児でした。

 

 

まだ何の罪も犯していない魂が、この世に生み落とした肉親の手によって穢される。その記憶に苛まれながら恩に着せられ、肉体が滅びるまで、自他を傷つけながら生き地獄を彷徨う。

 

 

これほど残虐な世の中で生き続ける意味などあるのか。この不条理をどうしても受け入れられず、もがいていました。

 

 

だって、世の中には幸せそうな人もいるじゃないですか。なぜ私はあの人達のように人生を謳歌できない運命になってしまったのでしょう。

 

 

 

こんなはずじゃなかった......。

 

 

 

 

 

 

こんなはずじゃなかった......!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「物事は私に対して起こっているのでなく、私を通じて起きている。」

 

 

 

 

 

 

 

 

そのことに気づくと、視界が少し開けた気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4歳の私が父親から犯され、隣にいた母親に助けを求められなくするための条件は、私が誕生する遥か昔から揃っていたことを歴史が教えてくれました。「児童虐待への無関心」「男尊女卑の伝統」「近親姦の合法性」などなど……。犯罪の温床が大事に育まれてきたことを。

 

 

もはや、私に直接害を加えてきた父と母だけで負える規模の罪業ではなく、先祖が代々人間社会で継承してきた負の遺産。その先祖の血を受け継いだ私に、そのツケが4歳の時に回ってきただけの話であり、いつ起きてもおかしくない状況だったのです。

 

 

ということは、縁起でもありませんが、私に起きた災難は、いつ誰に起きてもおかしくないということです。

 

 

私も20歳くらいまでは漠然と「25歳くらいになったらお母さんみたいに母親になるのかなー?」と思っていました。でもある時「世の中が変わらないまま出産・子育ては危険すぎる」と思い、選択肢を蹴りました。子どもに私みたいな経験をしてほしくない・そのリスクを取るのことさえ恐ろしいと思ったからです。

 

 

その後もわたしの想いは強まっていて、何の迷いもありません。

 

 

一方で、親や保護者から尊重されて育って心が健やかな子供や、逆行を乗り越えた若者や大人を見ると、世の中捨てたものじゃないなと思います。

 

 

こういう人たちが増えれば人間社会も変わるだろうと、希望さえ芽生えます。

 

 

なので、子供を産む・育てること自体に反対なのではありません。機能不全家族出身で、自他への正常な愛し方を知らない私には「無理です」とやらない選択を明確にしているという訳です。

 

 

その代わり、私は出産・子育てにかけなくていい時間を、よそ様の子どもへの性的虐待をはじめとする暴力が減り続ける未来を想像・創造することに費やします。誰の子であれ、私のような経験をしてほしくない想いは変わりません。

 

 

「出産・子育て」に対して楽観的になり過ぎるのは考えものですが、私のように悲観的になる必要があるとも思っていません。「子供の権利」「あらゆるジェンダーの権利」など今まで足りな過ぎた意識の変化は、気づかないほどゆっくりですが、起きていることもまた事実です。

 

 

それでも私は子孫を残すことより、統を絶ち負の連鎖を断つことを優先した方が、自分のためはもちろん、世のため・地球のためになると確信しています。

 

 

これは歪んだ愛情で育った私が辿り着いた母性本能のカタチなのだと解釈しています。