最近インスタで読める毒親コミックエッセイにハマっている。実話なのだが、体罰やネグレクトが伴う児童虐待の表現が多いため、「インスタでは規制がかかるのでなないか」という心配もあり、途中から作者が公式ブログをベースに作品を公開し始めた。それまではインスタにあとがきが書かれていたが、それ以降は公式ブログへの誘導文のみが書かれるようになった。私としては、あとがきも楽しみにしていた要素なので、それが読める公式ブログで読み進めた。
が、偏った性的模写が目立つ漫画の広告が多くて、非常に読み難く、残念ながらブログで読むのを諦めざるを得なかった。
作者は虐待児として被害者目線で実話のコミックエッセイを描いて、確かに暴力的な模写があるのは仕方がないと思う。一方でコミックエッセイをはさむようにして掲載されている広告は、女性や子供が激しく性的なことをされている(のに女子供が喜んでいる)という、ファンタジーを描いた俗にいう「エロ漫画」。要するに、力の弱い被害者目線のコミックエッセイが、力の強い立場の加害者目線で描かれた漫画の広告に埋もれてしまっている。なんとも本末転倒な結果になっている。
コミックエッセイは良作たどおもってたのに、あのブログをプラットフォームとして選んだことは、残念だと思う。広告を外すことはできないのだろうか。作者はどんな気持ちであのブログで公開してるのだろうか。
と、いうことで、作者にメッセージを書いてみた。
いつも漫画を拝見させていただいています。セラピーの一環で始められたそうですが、私にとってもセラピーになってます。ありがとうございます。
「この表現はインスタで再現がかかるのでは」という心配もあり、ブログを始められたそうですね。インスタに書かれた「あとがき」も楽しみにしていた要素なのですが、その後インスタではブログへの誘導文のみになったため、ブログの方で読み進めさせていただきました。
ブログで読んでいて、違和感を覚えたことがあるので、この度、思い切ってご連絡をさせていただきました。
ブログで読んでいると、激しく偏った性的模写の漫画広告が多く、とても違和感を覚えます。貴方様の実体験も過激ですが、同じ毒親育ちの当事者として共感できます。そして「この差は一体なんだろう」と考えました。
貴方様のコミックエッセイは、実話に基づいた児童虐待の話を、セラピーを目的とした被害者目線で語っています。一方で、ブログの広告は、男性が女子供に強引に性行為をしていて、女子供がそれを喜んでいるという、非現実的な妄想です(男性が悪いとか、妄想がいけないという話ではありません)。おそらく、ごく一部の男性読者のオカズになることを意識しているからそういう模写になっているのだと思いますが、結局は「力を持った者が力の弱い者を好き勝手にすることを正当化した加害者目線」で描かれている(力の弱い者がそれを喜んでいるという設定が非現実的だと感じます)ことが違和感の原因だと思います。
なので、貴方様のコミックエッセイと、その前後にある広告は、真逆の性質を持っていると言っても過言ではないと思います。そのような広告で貴方様のコミックが埋もれてしまっていることを残念に思います。
私も毒親育ちで三十歳後半になっても複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)や精神疾患が月経周期によって悪化する月経前増悪(PME)に悩まされています。幼児期より父親から性被害を受けた経験もあるから、性的模写に関して敏感に反応することも自覚しています。ただ、逆説的にいうと私たちは、性教育を軽視する社会の在り方により、性的な知識や意識が足りていないために、適切な距離感や境界線の線引きができなくなっているのだとも思います。
この機会にこの課題について考えるきっかけになればいいなと思い、ご連絡させていただきました。いつも色んな気づきを得る機会をくださり、ありがとうございます。
上文を作者のインスタにコメントした後、思い直して、すぐに削除した。別に作者の島に書かなくても、自分のブログから念を飛ばせばいい。そう思ったからだ。