「やめて」・逃げて・話して。性被害の解離から始まった生い立ちと脱・毒親 CPTSD歴35年の『犯免狂子』

4歳頃より、性加害・心理操作・体罰等を「愛情表現・躾」として両親から受け続けた事による無数のトラウマ症状(CPTSD歴35年強)を古今東西の療法で試行錯誤中。児童性虐待予防・啓発のため自伝『犯免狂子』執筆中✒︎安楽死に向けて準備中✴︎①性的な言動・表現が子共の人生を狂わす事を「無自覚」な人が過多②被害者:あなたは悪くない。早く人に話して→電話番号#8891匿名電話相談③水着で隠れる場所は見せない・触らせない/見ない・触らないを基本に「やめて」が言える性教育(出産・子育リスクも)+法改正を

【11】福田和子『涙の谷』より

p.30

「須藤ゆうたら、うちを強姦した男やろ」

 

p.35~36

小学校6年の終わり......このころには......地方公務員宅の二階に間借りをしていた。

母が夜の務めに出かけると......階下から浴衣姿のおじさんが上がってきて、「可愛いねぇ、おじさんと遊ぼうかぁ」と袂からお菓子を取り出し、、油の上に抱き上げられた。ぷんとお酒の不快な匂いがして、顔を背ける私に構わず、おじさんは頬ずりを繰り返す。三度目には、白熱電球のスポットライトを浴びた、裸のキューピーの私が立っていた。観客のおじさんは、脂ぎった赤ら顔を酷悪に歪めて、声を潜め「可愛いねぇ」と褒めそやす。恐い! 翌日からは、母がいなくなると押し入れに飛び込んだが、トイレを我慢できずに、四野見足でトイレに行くと、顔中笑顔のおじさんが階段を上がってくる。

「いい娘だね。お母さんには言わないでね。その代わりおじさんがお人形を買ってあげよう」

私は当時流行だったミルク飲み人形が欲しくて、もらった三千円を握りしめ、おじさんのざらついた手を我慢した。

もちろん性には無知ではあったが、私はこの時に、女の躰がお金になることを本能的に感じ取ったのかもしれない。

今度は電気も点けず、トイレにも行かずに押し入れに飛び込んだら、おねしょをしてしまった。何日もそんな日が続くので、不思議に思った母が尋ねると、

「夜、おじちゃんがくるのぉ......」

大騒動になったのは、ご想像の通り。

 

p.38

中学二年の初め......部屋にいた男に、突然押し倒された......。私は......ありったけの力を振り絞って格闘した。

 

p.53

「足を開いて早く!」