「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

【2】低容量ピルによる致命的な副作用

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生理前の月経前症候群PMS)や月経前不快気分障害PMDD)、生理中の月経困難症、あるいは既存の精神疾患が悪化する月経前増悪(PME)を和らげるために「低容量ピル」を服用していました。9年〜6年くらい前までは。辞めたのは、副作用によって命を落としかけたからです。今回は私が低容量ピルを始める前から辞めるまでの体験を振り返ります。

私はもともと低用量ピルに対して良いイメージはもっていませんでした。
 
中学生の頃から性的に奔放だった親友が、「避妊薬」として低容量ピルを飲んでいて、その副作用に悩まされていたのを傍目で見ていたので。
 
副作用は個人差があるそうですが、血栓が起こり易くなり、死に至ることがあるという危険性も知っていました。しかもタバコを吸うとその危険性は増します。当時の私は喫煙者でした。

9年前、私が低用量ピルをやむを得ず始めようと決心したきっかけは、彼氏へのDV加害と転勤の2点セットでした。
 
当時27歳くらいだった私は、唯一心を開けた人間(彼氏)に対して、モラハラな言動で彼に精神的な苦痛を加えていました。まるで自分が幼少期から母親にされてきたことで、自分でもショックでしたが、辞められませんでした。すぐにキレる、怒鳴る、人格を否定する、嫌味を言って精神的に追い詰める、叩く、暴言を吐くなどという行為を繰り返しました。怒りの原因は彼ではなく、自分が過去に両親から虐待を受けてきたときに押し殺してきた感情が爆発しているのは分かりました。彼に出会うまで自分は温厚な方だと思っていたのに。自分でも驚くくらい母親に似ている言動をどうコントロールしていいかわからなくて悩んでいました。

当時大学生だった私は授業を受けていない時以外は、朝も夜も平日も週末も祝日も年末年始もバイトでスケジュールを埋めないと気が済まないワーカホリックで仕事に居場所を見出していた。大学を卒業した後もバイトや契約社員フリーランスを掛け持ちしていたが、その甲斐もあって外資系企業からスカウトされ、海外に転勤することにした。

知らない国で彼の居ない日常で、いつ勃発するかわからないこの衝動的な怒りを他人に向けずに仕事に打ち込むことが想像できなかった。何かに頼らないと不安で仕方がなかったため、自分に禁じていた「低容量ピル」を服用する決意をした。これを機にタバコも辞めた。

国民健康保険が適応される低用量ピルを処方してもらおうと適当に選んだ婦人科に行くと、男性の医師が「副作用はないから」と断言。私は内心こう毒づいた(いくら医師だからと言って副作用はないなんてよく、テキトーなこと言えるな。女になったこともない癖に)。もちろん、その医師の処方するピルは却下し、間違えても二度と男性の婦人科医には行かないと心に決めてクリニックを後にした。

女友達からネットで購入できるサイトを教えてもらい、バイエル製薬のYAZという低用量ピルをネットで大人買いした。これで知らない土地で安心してキャリアに打ち込める、そう思った。

最初のうちはピルの効果があるように感じた。しかし、思い返すとそれは気休め程度だったか、全く効き目がなかったように思う。

職場の環境は最悪だった。エアコンはギンギンに効いていて、冷え性の私は夏でもダウンジャケットを着ていて、それでも寒くて寒くて仕方がなかった。締め切りは30分毎にあり、残業は勿論、夜勤も数ヶ月おきにあった。オフィス街なのに飲食店は少なく、地下にある食堂のご飯は不味い。

上司は私にあからさまなセクハラ発言をしてくる気持ちの悪い奴だった。私は毎日イライラしていて、同僚や上司には威圧的な態度をとっていた。給料が良かったので、同僚は皆、上司に対してヘコヘコしているように私の目には映った。私は(こんな会社なんていつでも辞めてやる)と思っていたので、言いたいことを言っていた。

休みの日は疲れ切って、趣味などやりたいことをする気力もなく、ベッドに横たわりながら涙を流し、彼氏と会話のほとんどないビデオチャットを何時間もしていた。会話がほとんどなくても、お互いの生活音を聞きながら、以前のように同じ時間を共有しているという感覚を覚えるだけで癒されていた。

仕事の内容に不満はあったものの、学ベることも沢山あり、もともと仕事一筋の私は当然のように努力を積み重ね、周囲にも認めてもらえるほど上達していった。しかし、同僚たちとギスギスした空気はどうしようもなかった。

中でも特に相性の悪い同僚から「あの人はああいう性格だから」と言われ、違和感を覚えた。私は内心(こんなにイライラしているのは、私の性格のせいではない)と反論していた。

入社3年目くらいから毎月、酷い頭痛に悩まされはじめた。それ以前は、頭痛を感じることはほとんどなかったし、あっても寝れば直ぐ治るタイプだった。なのに、この頃の頭痛は「変」だった。いくら寝てもその頭痛は数日間続くもので、原因がわからなかった。

毎月のことだったので、もしかして生理と関係があるのかもしれないと勘付き始めた頃、たまたま目に入ったニュース「月経困難症治療薬・ヤーズでブルーレター 血栓症による死亡例」を読んで、私はゾッとした。正に私が服用していた低用量ピルYAZを摂取した女性複数人が、突然死していたという内容だった。症状の中には「激しい頭痛」との記載もあった。ちなみに海外では訴訟も起きているほど悪名高いピルだということもわかった。私は自分の頭痛の原因がコレだということを直感的に理解し、ストックしてあったピルの箱の束を迷いもなくゴミ箱に捨てた。

ピルを辞めてから頭痛はなくなり、私は命拾いをした。あの時、あのニュースを読んでいなかったら、私は今ここにいなかっただろう。「副作用はないから」という男性医師の無責任な言葉が児玉する。なんて恐ろしい世界なんだ。

頭痛がなくなったのは良いが、日々のイライラは治らなかった。ピルはどの道効き目がなかったにせよ頼れるモノがなくなった私は代用となるモノを必死で探した。私が当時いた国では漢方が普及していて、健康保険で安価で処方してもらえたので、漢方薬局を訪問。「イライラがひどいんです」私は男性の漢方医に症状を伝えた。医師は、脈や舌の色を確認し、症状に合わせた漢方を調合してくれ、1日3回食事の前に服用するよう指示した

東洋の漢方は西洋医学薬品のように激しい副作用に悩まされることがない代わりに、急激に効果が発揮されることもない。地道に取り組んでいかなくてはならないものだということは理解してたが、藁をもすがる思いで始めた。

まず「1日3回の食事の前に飲む」ことを守るには、食事をキチンと取ることが不可欠になった。それまでの私は、食事を作る気力がない、食べ物を買う場所がない、食べる時間がないなどの理由で、朝と昼を抜くことがほとんどだった。それを強制的に変えるために、スポーツマンの体型維持を考慮したメニューをデリバリーしてくれるサービスを探して始めた。値段はそれなりにしたが、背に腹は変えられなかった。漢方を続けるために、健康的な食事を1日3回続けることに成功した。

正直な話、その後もイライラは続いたし、漢方によるイライラ改善の効果について聞かれると難しいものがある。しかし、漢方の偉大さははっきりと断言できる。なぜか。それは感漢方を取る習慣ができたお陰で「食事をキチンと取る」という当たり前なことができるようになったから。「どんなに忙しくても食事を取ること」の大切さを思い出させてくれたから。漢方は私が抱えていた生活習慣の問題を根本から改善する手助けをしてくれたうえに意識を変えるきっかけになり、その効果は国を離れて漢方を辞めざるを得なくなってからも継続している。低用量ピルを始め西洋医学のように無理やり感覚を麻痺させる方法とは真逆であり、自分の中にある「自然治癒力」を呼び覚まし、高めてくれる療法であり、決して侮ることはできないだろう。

PMSPMDD・PMEなどの月経困難で悩んている人は、低用量ピルでリスクを高めるより、地道に漢方で改善していく方がよっぽど良い、と私は命を掛けた体験談から断言する。残念なことに日本は良質な漢方を経済的にも入手するのが困難であるように思う。そういう場合は、白湯と薬膳を意識した食生活を継続すると良いと思う。


月経困難症治療薬・ヤーズでブルーレター 血栓症による死亡例
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