「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

お風呂・シャワーに入れてますか?2週間ぶりの洗浄と心の変化

突然ですが、お風呂・シャワーに定期的に入れてますか?

 

毎日、じゃなくても、数日に一回とかでも。

 

私は、そこまで頻繁に入れないことの方が多いです。

 

この記事は、精神疾患複雑性PTSD)が原因で、お風呂・シャワーになかなか入れない私が、2週間ぶりにシャワーを浴びることができた経験から、身体の洗浄と心の健康の関係について実感したことを書いています。

 

不快に感じるかもしれない内容も含みますので、ご注意ください。

 

私が体を洗わなくなったきっかけは小学校低学年までに遡ります。

 

 

「風呂に入らない=汚い=女じゃない」

 

父親が、バックパッカーをしていた時代に知り合ったという女性、について言ったことが印象に残っています。

 

「あいつは風呂にも入らないで汚かったな。あれは女じゃない。」みたいなことを嘲笑いながら言ったんです。

 

その頃、小学校低学年だった私はピンときました。

 

(風呂に入らないで、不潔だったら、女として扱われないのか)

 

それから、私は何日間、お風呂に入らないでいられるか、ということに挑戦を始めました。

 

その癖は成人した後も染み付いて、何週間、下手したら1ヶ月以上から数ヶ月、体を洗わなくても「平気」になっていました。

 

夏、汗でびっしょりになって気持ち悪くても、乾いたら全然平気と思っていました。

 

実家で父親が入った後の湯船は、汚くて気持ち悪かったので、いつしかシャワー派になりました。

 

でもシャワーを浴びながら目を瞑ると、「背後で誰かに見られているような恐怖心」を感じていました。

 

いつまでだったか。少なくとも、実家に暮らしていた21歳くらいまでは。

 

実家を出た後も「怖いから風呂に入りたくないんだ」と彼氏に話したことがあります。

 

そんなんで30年以上、一年に何回シャワーを浴びる程度でした。

 

下着も取り替えないものだから、炎症を起こして、痛くなっていました。

 

強姦する人の神経

去年『南京戦:閉ざされた記憶を尋ねる元兵士102人の証言』という本の中で、日本帝国軍から輪姦されたことで性病を移された中国人の女児や成人女性をも日本兵たちは強姦し続けたという話を知り、意識が変わりました。

 

自分の身体を不潔に保つことで自己防衛できると、父親の言葉から閃いたけど、どんなに身体を不潔に保っても、意味がないんだ、と。

 

人の身体を侵害するような人はそもそも狂っていて、標的の体が不潔だろうが、性病にかかっていようが関係ないんだ。

 

父親は、バックパッカーとして世界中を旅行していたとき、女を買いすぎて貯金を使い果たしてホームレスになったと武勇伝のように話していました。

 

売春婦の多くは性的虐待の経験があると言われていますが、父親は私が生まれる前から、性被害者を性のはけ口として搾取していたことになります。

 

道理でまだ4歳の娘に手を出すようなイカれた獣だったんだと、納得せざるを得ません。

 

 

2週間ぶりにシャワーを浴びられるまで

 

そんな私が昨日、2週間ぶりにシャワーを浴びることができました。

 

最近は1週間弱に一回くらいのペースで入れるようになってきたので、2週間は流石に不快でした。

 

でも、ここんとこ鬱が悪化していて、それどころではなかったのです。

 

そんな中「話を聞くのが好きで精神科医になった」という医師の初診を受けられるという朗報があったことで、シャワーを浴びることができました。

 

その経緯を振り返ります:

 

 

もともと鬱で仕事への意欲が湧かず、困っていた。

物販で不労所得が稼げるようなればと思っていたが、不誠実なコンサルタントに出会い、興味を失った。

「やりたいことを見つける」ことを目的とした別のコンサルを受けたら「あなたはやりたいことをわかっているから、コンサルは必要ない」と言われた。

自分がやりたいことは、自分の性被害・加害経験を見せしめとして発信し、子どもへの性犯罪に注目を集め、性犯罪がなくなる社会に貢献することだと改めて自覚。

数年前から続けていたブログに本腰を入れようと、プロフィールを書き上げた時点で、自分の人生の悲惨さを思い出し、鬱が悪化。

鬱でベッドに横になりながらYouTube動画を漁っていたら、BBCのドキュメンタリー『J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル』を発見。観てから感想文を書こうとするが、気持ちが複雑になりすぎて、言葉がまとまらない。

岡本カウアンさんの記者会見を拝見。言いたいことはたくさんあるはずなのに、言葉が上手に出てこないことに悶々とする。

中田敦彦さんのYouTube大学のジャニーズ児童性虐待の動画をみて、取り上げてくれてありがとうと思う反面、劣等感を覚える。

私は、性被害・加害の当事者として言及できることが沢山あるはずなのに、加害者としての罪悪感が邪魔をして言葉にならない(被害を加害の言い訳をしているように聞こえないだろうかという心配がある)。

自分の経験で、子どもへの性虐待に注目させて、社会のためになろうと決心したのに、自分の無力さに、がっかりする。

この件以外にも、賃貸の立退要請、隣の住人の生活音などストレスが何十にも相まっているので、日々の電話相談だけでは間に合わないと判断し、精神科医探しを再開。

「話を聞いてくれる医師に出会いたい」と最後に書いた問診票を見ただけで、クリニックの副院長の女医から拒否され、落胆。

「人の話を聞くのが好きで精神科医になった」という医師を見つけ、初診をお願いしたら、診察してくれるとのことで、希望が見えたタイミングでシャワーに入れた。

 

何も考えずに、体がスッと動いたことに、驚きました。

 

少しの希望でも気持ちが楽になる感覚と、身体を浄化しようとする行為は、比例するんだなということが、わかりやすく感じる瞬間でした。