ジャニーズ児童性虐待:性犯罪の当事者が感じた安堵感、違和感、劣等感
ジャニーズと児童性虐待の問題を追っている間、色んな感情が複雑に込み上げていました。
すぐに言葉にできないもどかしさから、日々悶々としていましたが「中田敦彦のYouTube大学」の動画がアップされた当日頃から、自分の複雑な感情に基づく意見がまとめられる気がしました。
安堵感、違和感、劣等感。
ひとつづつ検証してみます。
安堵感
まずは、安堵感。
中田さんは普段から、どんなに複雑なことも分かりやすく解説してくれています。
今回もより多くの人が児童性虐待について知り、理解し、より深く考えるきっかけになったと思います。
ジャニー喜多川の性犯罪疑惑に関して、約60年前から続く一連の流れを説明しているだけでなく、英語タイトル・字幕もつけ、世界中からコメントを受ける準備が整っているところも、抜かりないです。
実は私は「防犯のための性教育について授業してください!」と参考文献3冊くらいをコメント欄に書き込んだことがあったのですが、今回の動画で問題提起してほしかったことが言及されていたので、待ち侘びた末に胸をなでおろした感がありました。
とはいえ日本の性犯罪に関する刑法は、被害者とりわけ子どもを守っていないことが特徴的なので、絶望感極まりない話なのですが、現実を知ることから始めないとなりません。
例えばこんなことです。
被害者を守れていない性犯罪の法律を知る
まず、暴行などの脅迫が証明できないと、性行為に同意したとみなされるという、被害者にとって不利な法律があります。
性犯罪者は標的に接触するために、あらゆる方法で信頼関係を築こうとします。話し相手になったり、優しい言葉をかけたり、特別扱いをしたり......この作業は英語で「グルーミング(てなづけ)」といいますが、殴る蹴るなどの暴行が伴わなければ、嫌でも被害者が同意したことになってしまうのです。
13歳未満の子どもに対しては、いかなる性行為も犯罪です。でも13歳になった途端、性行為に同意できると法律で定められています。これが「性的同意年齢がいまだに13歳」という問題です。
日本の義務教育では包括的な性教育をしていないため、性行為に関するリスクを子どもたちは知らされていません。
性病、妊娠、中絶、子どもを育てることなどリスクが沢山あるのに、それを知らないまま、13歳になったら判断ができると法律で決められている。このことも義務教育で教わりません。
しかも、性犯罪に関する刑法が2017年に改定される前まで、男性は性被害者として認められませんでした。
そのため、性被害にあったジャニーズの男児たちは、ジャニー喜多川の罪を問えない状況だったのです。
ジャニー喜多川がやったことは法律上は”合法”だったという悍ましい状況でした。
こういう明らかにオカシイ世の中の構造となってる仕組み(法律)を変えるためにも問題意識を持つことが第一歩になります。
2017年の法改正は十分ではないにせよ、以前に比べて被害者の立場を盛り込めたのも、性被害者の当事者たちが法律家に現状の問題を伝えたからです。
意識や法改正の進歩は遅くても、変わっていることもあることを忘れずに、希望を持って行動するしかないことに気づかされます。
メモ:
性犯罪に関する法改正の運動は、一般社団法人Spring が重要な役割を果たしていて、より詳しいことが分かりやすくウェブサイトに書かれています。
黙殺する報道による共犯
今年2023年3月にBBCがドキュメンタリー『J-POPの捕食者: 秘められたスキャンダル』を放送した経緯についても触れていて、日本の報道の在り方が問われていることも示唆しています。
イギリスの人気司会者ジミー・サビルが2011年に他界した後、膨大な数の性加害を加えていたという被害者が続出しました。
でも彼がBBCという大きな公共放送の中で支配的な立ち位置にいたほか、イギリス王室からも絶賛されていたため、彼の性犯罪を扱うことがタブー視されていて、BBCの幹部が責務を問われる事態に発展。
メディアで権力を持っている人の性加害に対して、透明性のある報道が必要という認識の変化がBBCの中で生まれた延長に、今回のドキュメンタリーが制作されています。
「死に至るまで一切タブーとして扱われていたことが、死後ようやく検証できるようになったという苦肉の状況」と中田さんは言い当ててくれました。
アメリカではマイケル・ジャクソンの児童性虐待事件があり、MeToo運動が世界に広まりました。性犯罪は世界共通、人類の問題です。
そんな中、ジャニーズに所属していた岡本カウアンさんが2022年冬、ジャニー喜多川から被害を15歳から数年に渡り15回受けていて、事件の動画も持っているということなどを告白していました。
その後、週刊文春の取材を受けたカウアンさんは、「日本のメディアからは黙殺されるだけ」とアドバイスされ、日本外国特派員協会(FCCJ)で外国人記者に向けて会見を開催。
他の被害者も声を出して欲しい旨を伝えたカウアンさん。
ジャニーズ事務所に対し訴訟を起こすか尋ねられた際、考えていないと答えられました。
訴訟を起こした方が、より多く報道され、他のメンバーたちも告白しやすくなるのでは?と思いました。
でも、すでに問い合わせが国内外から殺到しているらしく、新たな証言者も現れているのなら、ゆっくり検討してもいいのかもしれません。
またジャニーズ事務所のお陰で有名になれた手前、訴訟を起こしづらい心理も働いているのかなと察します。
でも事務所に感謝の気持ちがあることと、性犯罪を罰することは切り分けて考える必要があると思います。お金と権力があれば、暴力が黙認される社会を助長することになってしまうから。
違和感
真実を語ることが難しい社会を体現
違和感を覚えたのは、児童性虐待の「性」やchild sex abuse「sex」という言葉が「中田敦彦のYouTube大学」の動画から抜かれていて、脱字ではなく意図的であると感じる点です。
「性的」な問題であるということをパッと見で隠して、穏便にしたいという心理が働いているのだと思うのですが、その気遣いは本来、不要だと思うのです。
性的な問題であることを「隠す」という発想や行動自体が、性犯罪を見えにくくしている原動と直接関係しているからです。
またジャニー喜多川は裁判で犯罪を遠回しに認める供述をしているので「あくまで疑惑である」と中田さんが何度も言う必要はなく、不自然に聞こえました。
中田さんの喋り方はいつもとは違い、非常に緊張していましたが、その理由を考えると、名誉毀損を恐れている可能性が大きいのではないかと思いました。
名誉毀損は権力者が罪を犯しても守られてしまう法律なので、なくした方がいいと思います。
いずれにせよ、真実を話すことはがどれほど覚悟が必要で、真実を話すことがどれほど難しい社会に私たちは生きているのか、ということが体現されている動画だと感じました。
劣等感
BBCのドキュメンタリーやカウアン岡本さんの記者会見を受け、大手メディアが取り上げない情報がネット上では次々と流れてきます。
大事なことなのですが、私は自分の無力さが浮き彫りになるようで、劣等感を感じていました。
私は性被害と加害両方の経験があり、当事者として言及できることが沢山あるし、子どもへの性犯罪に注目を集めて、子どもの心身が尊重される社会に貢献するという目的があります。
なのに、いざとなると、想いが複雑になり過ぎて、言葉がまとまらず、時間だけが過ぎていきました。
私は4歳から性被害を身内から受け続け、被害を認められるまで30年間以上かかり、昔から精神疾患を患っているのだから、健常者たちの仕事のスピードに勝てないのは当たり前だし、そもそも比べるのがおかしいとは頭では分かっているのですが、気持ちは焦っていました。
でも、時間がかかっても、そんな自分だからこそ感じることを書こうと思います。
犯罪行為に対してなぜ声を上げないのか
「犯罪行為に対してなぜ声を上げないのか」という問題ですが、ジャニーズじゃなくても、当事者ならわかると思うのですが、なかなか難しいのです。
まず「信じられない」という自己防衛本能が作動します。
信じざるを得なくなっても、今度は「信じたくない」という感覚が勝ります。
信じたくないために、思い出さないようにします。
記憶を消そうとしたり、問題を矮小化したり、あの手この手を使って意識を逸らします。それは無意識でやっていたりもするのです。
それには日々を忙しく過ごして現実逃避するのがとても効果的です。
ジャニーズJr.はデビューすると目まぐるしいスケジュールに追われると聞きますが、現実逃避するにはこの上ない環境でしょう。
「忙しい」という言葉は「心を亡くす」と書きますが、仕事や何かに没頭していると、トラウマ体験の記憶を押し殺しやすくなります。
「心を亡くす」ことができれば、信じられないことを信じずに一旦は無かったことにできるのです。
その方が楽だという錯覚から目を覚ましたら、何が待ち受けているか分からない恐怖があります。少なくともやっと手に入れた名声を、得体の知らないリスクを負ってまで捨てるには、よっぽどの覚悟が必要です。
人気者になるために、性被害を我慢し、性被害を忘れるためにも、忙しくしていないとやってられない。そうやって、辛うじて精神を保っている方々が少なくないのではないでしょうか。
ただある程度は保てても、いつか、押し殺していた感情が浮かび上がってきて爆発する可能性は十分にあり得ます。
その時に、話を聞いたり、必要に応じてセラピーをするなど、被害者の受け入れ態勢が、性犯罪の予防と同時進行で、社会に求められていると思います。
加害者が遠回しに罪を認める心理
加害者が罪を問いただされ際、遠回しに認める口調が特徴的で、その心理に解決策が隠されているように感じます。
ジャニーズ事務所側は「問題がなかったなどと考えているわけではございません」と、問題があったことを認めつつも、実際の対応は社内ヒアリングと相談窓口の設置に止まっているとTBS系やテレビ朝日系のニュース番組が、報じたそうです。
ジャニーズ喜多川も裁判で「彼たちはうその証言をしたということを、僕は明確には言い難いです。」と否定系で認めています。
私が父親を問いただした際も「やった覚えはいないとは言えない」みたいな言い方をしました。
なぜ、加害者は素直にストレートに「やりました。申し訳ございません」と言えないのか。
それは、加害者の中に罪悪感があるけど、認めてしまったら失うものが大きすぎると思い込んでいるからだと思うんです。
でもそれなら、もう少し上手に嘘を浮き通せばいいと思いませんか。
嘘をつき通せない、良心みたいなものが見えてきてしまっているのはなぜでしょう。
それは、加害者の中に、被害者の意識が認められないまま存在しているからだと思います。
意識レベルで、癒やされていない心の傷を十分に認められないまま、潜在意識では「被害者マインド(私は悪くない)」になっていることによる不一致から生じているようにみえます。
というのは、私自身、きょうだいにしていた性加害について、心の奥底に罪悪感はあったものの、日常的には自覚しておりませんでした。
でも自分が親から性被害者を受けたと認めることができて初めて、自分がきょうだいに対してした加害性と向き合わないとむしろ気持ち悪いという状況に陥り、きょうだいに謝罪しました。
加害者が自分の罪を理解するには、まずその加害行動に及ぶ前に経験した被害を十分に認める必要がある。
自分が受けた被害を感じられないまま、他人の痛みや苦しみを想像することは難しいからです。
ジャニーズ喜多川は裁判で「血のつながりのないというほどわびしいものはないと。という意味で、さびしかったからというのは、逆に、僕自身だったかもわかりません。」と供述したそうです。
正直、支離滅裂です。血のつながりがなくて侘しくて、寂しいから、性犯罪をしたってこと??と突っ込みたくなります。
ここで重要なのは「わびしい」「さびしかった」という言葉。これらの感情が、彼の中で犯罪行為を正当化する要因になったと捉えられます。
もちろん侘しさ・寂しさは性加害をする正当化にはなりません。
けれど、その寂しさに向き合うことをしなかったから、性加害が始まり、再犯は止まらず、被害は拡大していったのだと思います。
裏を返せば、その寂しさと向き合う必要があったということになります。
「血につながりがないことは侘しい」と言いながら、ジャニー喜多川には家族がいました。家族がいたにも関わらず、さみしさが和らぐことはなかったとも捉えられます。
ジャニー喜多川のさみしさを和らげるために必要だったのは、男児への一方的な性行為ではなく、セラピーやカウンセリングで気持ちを受け止めてもらう手助けだったのではないでしょうか。
加害者側のジャニーズ事務所の人たちも、被害者側のアイドルたちも、この事件に注目している社会の人々全てに共通して必要なもの。
それは、一人では言葉にしずらい感情に、ただただ耳を傾けてくれる存在なのだろうと思っています。
それは血が繋がっていない人でも、身近な人でなくても、面識のない電話相談の人でも、まだ出会っていない心理カウンセラーでも、話を聞いてくれる人なら誰でもいいんだと思います。
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性犯罪に関する法改正の運動は、一般社団法人Spring が重要な役割を果たしていて、より詳しいことが分かりやすくウェブサイトに書かれています。