【20】無理に明るいキャラを演じて気持ちに蓋をする「躁的防衛」
私の幼少期の不可解な言動は「躁的防衛(そうてきぼうえい)」で説明できる。
・夕飯の時だけ腹痛になるまで暴食して下痢になっていた。
(母のご飯は毎食美味しかったが、朝食や昼食の時は暴食しなかった)
・家族全員で日帰りの遠出をする時は、車の中で一人、小一時間ほど、大声で話し続け爆笑していた。
(父親が「この娘、こんなにひょうきんだったっけ?」と母に尋ねたのを、私は冷静に聞いていたのを覚えている)
「躁的防衛」は、自分を躁状態に保つことによって、直面したくない感情から意識を背けて自分を守ろうとする心理的な防衛法。
無理に明るいキャラクターを演じることなどで、気を紛らわせたり悲しい気持ちに蓋をしたりするなどの防衛行動です。......一般的には、なじみにくい集団生活の中や、不慣れな環境に無理して適応しようとする際によく見られます。過剰ストレス時にやたらとハイテンションに盛り上げてみせたり、暴飲暴食に走ったり、常に活動していないと落ち着かなくなり、仕事や予定を入れ込もうとするケースetc。このようなケースでは、正に躁的防衛という形を借りて、ストレスに対処していると考えられます。*1。
私が「直面したくない感情」とはなんだったのか。なぜ「気を紛らわせたり」「悲しい気持ちに蓋」をしなくてはならなかったのか。
今ならわかるが、当時の私はまだ、自分が4歳の時に父親から性的虐待を受けていたことを認識していなかった。フラッシュバックするたびに「あれば悪い夢だった」と自分に言い聞かせていたので、私の頭の中では「虐待はないことになっていた」。
夕食の時間は毎日、必ず家族5人揃って、みんな一緒に手を合わせて「いただきます!」と元気よく言ってから食事するは父親の夢であり希望だった(朝食は母ときょうだいととったり、昼食は学校でとったりしていたはずだが、これらの記憶はほとんどない)。
たまに家族全員で日帰りの遠出をする時は父も車の中にいた(普段は母親が車で子供たちを送り迎えしていたはずだが、この記憶もほとんどない)。
この二つの共通点は、家族の中に「父もいた」ということ。
幼児の下着に手を入れて性器を触り、そのことについて妻に虚をつくことは性犯罪の確信犯のすることだ。
私は当時、的確な言葉で表現できるほどの教育を受けていなかったが、それまで経験したことのない不快感、恐怖心、混乱を一気に覚えた。
が、それを認めてしまったら、父親が悪者だと思ってしまったら、「幸せな家族」の中にいられなくなるという不安が常にあったに違いない。これらの感情や感覚を毎日「なかったこと」として押し殺すのことは相当なストレスが加わっていたはずだ。
私は「幸せな家族」の相応しい一員になるために、向き合いたくない「不快感・恐怖・混乱・不安」に蓋をするために、父のいる夕飯の席で「ご飯が美味しい」ということに没頭して暴食し、父のいる車の中でわざと陽気に振る舞ったのだろう。
私は長年、躁鬱を繰り返しているが、最近まで「躁状態の自分」が「本来の自分」だと信じ、「鬱状態の自分」に問題があると思っていた。
でも最近わかってきたことは、躁状態になると社交的になり、底抜けに楽観的になるが、この時、自分に害のある人間や状況を引き寄せてしまい、鬱になった時に対処できないことが多い。
また、他人といるとデフォルトで躁状態になる。人と接することができるほど元気=本来の私=躁状態と思い込んでいるようだ。明るい自分でいなくてはならないという強迫観念が常に働いているのは、幼児期からの癖であり、決して本来の私であるとは限らないということがわかってきた。
人と接する度に自動的に無理をしてしまうから、その後はドッと疲れて鬱になったり、怒り狂ったり、引きこもったりという状況が続く。
他人に会う頻度が多くなると、前触れもなく連絡を返さなくなったりする。内心、申し訳ない気持ちになるが、今は他人様のご機嫌を伺っている余裕がないのだ、と自分に言い聞かせ、自分のためにやれることに集中することを心がけよう。
私は他人に気に入られようとするあまり、頑張り過ぎて精神がすり減って消耗してしまうので、他人と会う頻度を減らし気味に調整し、自分とデートする気持ちで活動しよう。
太宰治の小説『人間失格』の主人公・大庭葉蔵も、人に怯えながら、本心を悟られないために道化を演じていた。そんな葉蔵もまた「自分は、女中や下男から、哀しい事を教えられ、犯されていました」という。
私は葉蔵のお道化をせずには生きられなかった心境が痛いほどよく理解できる。哀しい事を素直に哀しいと表現できない状況にいたから、その逆の「嬉しい・喜ばしい」という感情で抑え込んでいたその苦悩を。