「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

【3】「聴覚過敏」x「解離症」x「PME」

私は音に過敏に反応する「聴覚過敏症」を自覚し始めているが、以前はそうでもなかった。このような自覚の変化が起きている原因は「解離症が回復してきている証拠だ」とという結論に至った。解離とは「意識や記憶などに関する感覚をまとめる能力が一時的に失われた状態」で「意識、記憶、思考、感情、知覚、行動、身体イメージなどが分断されて感じられ」る状態のことをいう。

聴覚過敏

十数年前、中央線沿いの雑居ビルにあったシェアハウスに数年ほど住んでいた頃の私は、電車が頻繁に通過する音が聞こえても「騒音に強いし、慣れるから大丈夫」と思っていた。

 

聴覚過敏だと気づき始めたのは、それから何年後のこと。普段は気にならないのに、生理前や生理中になると他人の話し声などが耳障りに感じられイライラし、今となっては、耳栓が必需品になった。

 

花粉症のように、騒音によるストレスも、長年たまりにたまって、ある時からアレルギー反応を発症するようなことがあるのかも知れない。けど、単純にそれだけじゃない気もする。

 

最近、長年借りていた第一拠点での騒音が原因で、毎晩睡眠不足になり、ついに発狂し、部屋を出て、今は比較的に静かな第二拠点で生活している。

 

彼曰く、私は数年前から第一拠点での騒音について「うるさい」と頻繁に文句を言っていたそうだが、私は全く覚えておらず、自覚したのは今年に入ってからだ。「数年前から」と指摘され、「そんなに前から?」と驚いた。

 

騒音によるストレスの場面のなかでなぜ、自覚がある場合(生理中に気になる他人の声)と、自覚のない場合(第一拠点での騒音)があるのか。しかも前者より後者の方が頻度も度合いもよっぽど酷かったにも関わらず、なぜ前者には早い段階で気づいたのに、後者には最近までなかったのか。

解離症

思い当たる節として「解離症」がある。

 

私は以前、幼児期に父親から受けた近親姦被害によるトラウマの悩みを精神科医に話したら、「解離症」と診断された。私は驚いたが、「覚えていないことが多い」のはそのせいかも知れない、と腑に落ちた部分もあった。「自分が自分でない、別の誰かである」感覚がずっと拭いきれなかったことも説明がつく。

 

覚えていることは鮮明に覚えているけど、覚えていないことは、記憶の中からスッポリ抜けている感じ。そのギャップが激しい。

 

しかも覚えているのは、よりによって、私が幼児期に父親から受けた性被害と繋がりがある嫌な記憶であることが多く、それに悩まされていた。

 

以前、観た女性ジェニー・ヘインズ(Jenny Heinz)に関するドキュメンタリーを思い出す。彼女は解離性同一性障害者(DID)だが「多重人格」という言葉の方がしっくりきているそう。幼児期に毎日、父親から性的暴行を加え続けられていた自分を精神的に守るために約2,500人の人格と共存している。2019年にオーストリアの裁判で、各々の人格が彼女の証言者となって犯人を裁き、勝利したという世界でも前代未聞の訴訟だった。

 

私の記憶が断片的なのに、トラウマに関連する記憶が鮮明にフラッシュバックする現象と、どこか似ている。

 

潜在意識で息を潜めていた本来の私が、過去に封印しようとした記憶や感覚を、意識レベルに浮上させ、真実を突き止めようとしているかのよう。

 

そして、忘れようとした記憶や感覚が蘇る率が圧倒的に高いのは、心身ともに最も敏感な時期である、月経前と月経中。ちょうど今の時期なのだ……。

 

私は当初、生理になる度にトラウマの記憶がフラッシュバックして鬱になり、無力感や絶望感に苛まれることも、生理中に他人の声でイライラするのも、「女に生まれてきた自分の運が悪かった」と自分を憎んでいた。

 

でも彼氏に何度か指摘されてようやく気づいた。「生理前や生理中に関係なく、いつも情緒不安定だ」ということに。

 

はじめの頃は彼の否定していた。生理前や生理中はいつもより、鬱やイライラが悪化するのは確かだったから。

 

でも冷静に思い返してみると、彼の指摘通り、生理が終わった時も感情の起伏が激しかったし、何ヶ月間にも渡って鬱になることも頻繁にあった。

 

ということは、私の情緒不安定は必ずしも、「生理による女性ホルモンのせい(身体的な原因)ではない」ということになる。

 

生理のせいで、トラウマの記憶をフラッシュバックしていたから、情緒不安定になっていたのではなくて、その逆が濃厚。

 

過去にトラウマを実際に経験したことによって精神疾患を患っていたから、身体が一番敏感になる生理前や生理中にフラッシュバックしては情緒不安定になっていたのだ。

月経前増悪(PME)

この状態を専門用語では「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)による月経前増悪(PME)」という。

 

要するに、「既存の精神疾患が月経周期によって増悪する」という意味。

 

月経に伴う心身の不調を、女性ホルモンの変動など「身体に原因がある」と診る月経前症候群PMS)や、月経前不快気分障害PMDD)の症状と似ていて被ることはあっても、同じではない。PMSPMDDは月経後に症状が治るのに対し、PMEの場合は月経後も症状が続くことがあるというのが特徴的。誤診して下手に処方すれば命に関わる大問題にも繋がる深刻な問題も潜んでいる。

 

私は、身体的な苦痛より精神的な苦痛の方が重いので「PMS」というより「PMDDだ」と当初は勘違いしていた。PMDDは2013年まで世界的な診断基準「DSM-5」でも精神疾患として正式に認定されていなかったからか、2011年に日本で私を「PMS」と診断した男性医師から「副作用はない」と勧められた低容量ピルを、私は完全に疑いながらも仕事のためにやむを得ず飲んでいた時期がある。そして数年後から副作用によって激しい頭痛が伴い、命を落としかけた経験がある。私と同じピルを呑んで、副作用のひとつとして昔から広く知られている血栓などになり、突然死した女性は国内外にいて、2019年までに製薬会社に対して約2万件の訴訟が起きており、社会問題になっている。

 

ちなみにPMEは2021年現在、DSM-5ではまだ精神疾患として認定されていないが、「PMEは幼少期に性被害を受け精神疾患を患っている患者に目立つ」という結果が欧米の研究では既に出ている。

 

話を戻すと、生理は、私を苦しめるためにあったのではなく、意識レベルでは認め難い事実(トラウマ体験)を自覚させ、真実を正面から向き合わせてくれた「味方のような存在」と今では捉えている。

 

自分のことをもっと知っていくうちに、私は感性が敏感で「HSP (Higly Sensitive Person)」という生まれ持った気質があるということもわかってきた。私が異常なのではなくて、5人に一人の割合で見受けられる気質。

 

だとすると、もともと五感も過敏なはずなのに、十数年前に「自分は騒音に強いし、慣れるから大丈夫」と思った「自分」は一体「誰」なのか。明らかに私の本来の気質とは異なる、別の人格だ。

 

振り返ればあの時の私は今よりもっと「私らしくなかった」。今よりもっと色んなことを我慢して、感覚を麻痺させて、他人からの評価を頼りに、自分の労働時間を切り売りすることを最優先し、ただただ我武者羅に生きていて、自分を労る術を全く知らなかった。ある意味、別人だった。

 

そうか、あの時、大学生だった私(人格)は今よりもっと自分の感覚や記憶を押し殺していたから、本当はストレスに感じている騒音に対して「強いし、慣れるから大丈夫」と思えたのか。そもそも「慣れる」というのは宣言であり、実際は「慣れてない」証拠じゃないか。

 

三十代に命を落としかけてから私は「死」を意識するようになり、それから悔いのない人生を送るために全てをリセットし始めた。「頑張らない(楽しむ)」「どんな自分をも受け止める」をモットーにし、昔の自分とは異なる意識のもと異なる行動をしている。たがら、自分が本当は聴覚だけでなく、色んなことに敏感だということもわかってきた。

 

だから長年住んでいた第一拠点の騒音にも我慢ができなくなり、ついに発狂して飛び出したのだろう。叫びながら「とうとう気が狂ったかも」とおもったが、今となっては「好転反応」と表現した方が適切な気がする。

 

等身大の私を生きていくうえで、今後益々「自分らしい自分」を再発見していくだろう。

 

そんな前向きな気持ちになりつつ眠りに就こうと……。

 

目を瞑ったら、深刻なDIDに苦しむグレッチェン(Gretchen)という別の女性のドキュメンタリー映像を思い出した。彼女はある時は、自分の中の凶暴な人格による自傷行為で血塗れになり、殺害予告が書かれた自身の日記を見開いても思い出せないでいる。ある時は診察室のベッド上で手足を縛られながら、取り憑かれたように激しくのたうち回る性的虐待を受けた当時の人格の映像をポカーンと観ながら再び意識が飛びそうになっている。ある時は幼女の人格が悲しそうに「私だって遊びたい」とつぶやく......。

 

私はDIDとまではいかなくても、やっぱりまだ解離症が残っているということなのだろうか。

 

仮にそうであっても不思議はない。小学生の頃、日本語でDIDのドキュメンタリーを観て、「自分もそうなったら楽になるかもしれない」と不謹慎にも思ったことを覚えている。

 

なんで障害で苦しんでいる人を観て、ある種の憧れを感じていたのか、当時は自分でも説明がつかなかったが、今ならわかる気がする。それだけ現実逃避をしたくなる日々を過ごしていたということだろう。

 

DIDは「病気じゃない、己の魂を守る術だ」とジェニー・ヘインズ氏は語ったが、私はこの考え方に共感する。病んでいるのは、娘を性的に侵害する父親、そしてその「魂の殺害」を黙認してきた社会の方だ。