『きんしんかん:性加害のニワトリとたまご』

ある本がきっかけで、逃げるように東京に移住した日系アメリカ人の斎氣心。初めて心を開ける人に出逢うも、彼にDVをしてしまう。確執が長年ある母親のような自分に絶望した。原因は、母の「躾(暴力)」と女性ホルモンだと考え、低容量ピルYAZを服用したが、副作用で臨死した。古今東西の代替医療による精神治療を試行錯誤する中、幼児期に父親から受け始めた猥褻を自覚する。それでも問題が雪だるま化するため、両親に虐待の事実を問いただした。しかし己の被害を自他に明示できた瞬間、自分もきょうだいに性的加害をしていた記憶が蘇り...

⚠︎廣瀬爽彩さんの絵【旭川いじめ隠蔽】

f:id:psychekokoro:20210925112541j:image廣瀬爽彩さん(14)が、複数の小中学生から性的虐待を受けた精神的苦痛によって自殺に追いやられたにもかかわらず、イジメを否認し隠蔽しようとしている学校や教育現場の実態が明らかになった「旭川イジメ隠蔽事件」。性犯罪を学校ぐるみで隠蔽しようとする加害者らによって事件の真相は謎に包まれたままであるため、真相究明の署名活動も始まっている。ネット上では加害者全員を特定する動きがあり、北海道旭川市の市立北星中学の中山岳教頭・金子圭一元校長(剣淵町役場の学校教育指導員)、担任の菅野美里らをはじめ、加害生徒たちの名前や顔写真も浮上している。

事件の詳細は、文春オンラインで特集されていて、書籍「娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件」が9月10日2021年に出版された。

内容を読む限り「イジメ」より「性的虐待」「性犯罪」の方が的確な言葉だという印象を受ける。

ここでは、記事に掲載された爽彩さんの絵を見て、個人的に感じたことを書きたい。

爽彩さんの絵を複数見て、私は衝撃を受けた。彼女が性的虐待を受ける前と受けた後の絵では、まるで別人が書いたもののようだったのと、私が過去に描いていた絵を思い出したからだ。

爽彩さんが性的虐待を受ける以前に描いた絵は、色彩豊かでやわらかい曲線が多く、元気な言葉も綴られている。そして虐待を受けた後の絵は一変する。絵はモノクロが中心で、まるでガラスの破片のような断面に、重々しく太い漆黒の直線が細かく刻まれているのが象徴的だ。彼女の心に切り刻まれた傷はこの絵でも表現されている。彼女は電話相談員に「死にたい。リスカ(リストカット)した」と言ったというが、その時に使ったのではないかと思われるカッターナイフも描かれている。虐待を受けた後の絵に言葉は殆ど見られないが、ある絵には「ムダだって知ってるだろ」と一言で絶望感を表現している。

爽彩さんが自殺した後ツイッターで拡散された絵と、彼女がユーチューバー「なあぼう」の動画内でイジメや進路について悩みを打ち明けていた際に公開した絵が一致していることはネット上でも話題になっていた。
なあぼうから絵の才能について褒めたれた際(19:00)彼女は「前の学校の人に『お前気持ちわるって、お前の絵気持ちわる』って言われて...」と自嘲したのが印象的だった。彼女が感じていた不快感・気持ち悪さが絵から滲み出ていて、彼女もそれを自覚しているように聞こえた。
「色塗ったのある?」という質問を受け、爽彩さんは「色塗ったの...昔の...あるかな...ちょっと探してみますね。......こういう絵で色を塗ったやつということ......ですよね」と少々困ったように答えた。

彼女は確かに色彩豊かな絵を描いていたが、それはもはや「昔」のことで、ちょっと探してみないとならないほど遠い過去のものとなっていたのだろう。「こういう絵」というのは、性虐待を受けた後に辛い気持ちを表現した絵のことを指していると解釈できる。

彼女が「......ちょっと頑張って探してみます......確か一枚だけこういう感じの絵で塗ったやつがあったはず......これです」と言って見せたは、白い紙に青と黒を基調した集合体に、赤などが差し色として使われていた。この絵を境に、黒一色で描くようになったということだろうか。その後に描かれた絵と系統は似ているようではあるものの、この絵にはまだ希望を読み取ることができる気がする。
彼女は「集合体が好きってわけではないんですけど、基本的になんか物が集まった絵しか書けない」と説明した。集合体はその後益々密集し、その中にてるてる坊主があるが、その後描かれた黒をベースに描かれたにも度々登場する。てるてる坊主は雨の日に晴れを願って吊るすものだが、彼女の中にあったと思われる「微かな希望」を象徴するものと解釈できる。しかしそのてるてる坊主もこのでは、目を塗りつぶされ頭は垂れ、ボロボロな状態で、血が滲んでいるように見える。血のような涙が流れる笑顔はおそらく彼女自身のもので、無理して気持ちを切り替えようと明るく振る舞っていることを、吹き出しの中の音符が示唆する。逃げる足が無くズタズタになった胴体に描かれた口は噤んだまま。言葉にもならない感情を表している。周りには、近くで直視する目、遠くから見る目、横目で見る目など複数の目がある。お墓や十字架のモチーフが見られ、「死」を考えながら描いていたことが想像できる。

爽彩さんの絵は、彼女の「ネッ友」と名乗る人によってTwitterで拡散されたようで、そこには次のようなツイートが添えられていた:「きっとこれは、遺族でも何でもない私がするべきことではないと自覚しています。でも、絵を描いているときは嫌なこと全部忘れられて楽しい。もっといろんな人に絵を見てほしいと嬉しそうに話していた彼女が忘れられないんです。」

 

私が爽彩さんの絵を見て驚いたかというと、自分が両親から日常的に虐待を受け人生で一番辛かった時期に描いた絵と重なるものを感じたからだ。当時、十代だった私が悲しみと悔しさから描いていた絵も殆どモノクロで、重々しかった。色を足したかったけど、どこからどうやって何色を足せばいいかわからなかった。

爽彩さんの絵を見て、私が色を使えなかった理由を確信した。誰にも助けてもらえず虐待を受け続けたことによって生きる希望が失われ、世の中を見る目に黒いフィルターがかかったように光が失われた。光がないと色は見えない。光のない世界では色は無縁だからだ。

爽彩さんが「私、文章とかも書くんですよ」と言って動画の中でなあぼうに見せた詩。
「沈んだ先の向こう側へ
今日は晴れて気持ちがいい
風もそよそよと吹いていて 様々な所から 春を喜ぶ歌が聞こえる
しかしどこか沈んでいる 僕の心は沈んでいる 僕は春を蔑む歌を歌った
そうすると 空から槍が降る 僕だけに 僕一人だけに
しばらくすると 周囲から 矢で射抜かれる 僕だけ そう僕だけが
そうして僕は 僕が一人であることを認めた 認めざるを得なかった
僕は落とされた
くらいくらい水底へ どんどんどんどん沈んでゆく」
ここでも彼女は外の世界と、自身の心の中との間に隔たりを感じている。外は晴れて気持ちいいのに、自分の心は沈み、身体と共にくらいくらい場所へと沈んでいく。この槍のモチーフは先述した青を基調としたにも描かれている。

爽彩さんが自殺を選んだことに無理はない。彼女のような状況下で死にたいと思うのは自然なことだと思う。彼女は自殺をするまでに何度も何度も心を傷つけられたことで精神が病み、「魂の殺人」を繰り返し犯されてきた。心と精神の状態に合わせて身体が後を追ったのだろう。助けを求めても誰も助けてくれない環境下で生きて延びたとしても生きた心地はしなかっただろう。生きることがこんなに辛いなら、死んだほうがましと思うのは当然だ。

彼女は周りの大人に何度も相談していたにも関わらず、誰も助けてくれず、学校は事実を隠蔽し続ける。当時の校長は学校教育指導員として天下りした後、雲隠れしている。教頭が逃げまくっている姿はYouTubeでも確認できる。担任の女も「答えられません」と逃げる一方。本当に腐った世の中だ。こんな世の中で「生きよ」というのは乱暴だろう。

私は、この状況をどうにか打破するために、残りの人生を費やすことに決めた。子供は作らない。むしろこのままの状態なら、人類は絶滅した方がいいとまで思う。

でも生まれながらにして悪人はいない。人間にはもともと良心があるのも知っている。必要なのは、幼児期からの性教育、性犯罪に関する刑法の改正、加害者の更生プログラム、護身術などなど、課題は沢山ある。

沈黙の中で伝染するこの疫病を鎮め、爽彩さんや私のような人間を増産させない。そのためにも私は気持ちや考えを言語化して発信し続ける。