「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

【11】住みたくないところに住むのを辞める


f:id:psychekokoro:20211001112747j:image

住みたいところがわからないなら、住みたくないところに住むことを辞めれば、住みたいところが見つかるのか?を検証する。やりたいことがわからなかった私が、やりたくないことを辞めたら、やりたいことがわかったので、その応用。

 

背景

 

私が今住んでいる賃貸物件は東京23区内にあり、10年前に借りた。

同棲していた彼氏は東京で暮らすことを決めていたが、私は東京というか日本に住み続ける気はなかった。なので、彼が一人暮らしするために借りた。彼は旅する私に「たまに帰ってくればいいよ」と言ってくれていたので、私はそのつもりだった。

 

私は当時、急いで探して内見3軒目くらいで即決。南東の角部屋で、複数の駅が利用でき最寄駅まで徒歩8分で6.3万円。ここ数年でスーパー激戦区になって生活がしやすくなった面もある。でも、朝から晩まで騒音が激しく落ち着ける環境ではない。大通りを面していて、パトカーや救急車のサイレン、車のマフラーが壊れている音、まるで戦場にいるかのような工事の音が聞こえ、真下には地下鉄が走っていて、夜遅くまで振動が伝わってきます。目の前にタワマンが二棟建ち日当たりも悪くなった。彼はよくこんな場所に住めるなと思うくらい酷い。

 

私はこの部屋に引っ越してからまもない2012年、仕事の関係で台湾に引っ越し3年半ほど単身赴任。たまに東京に帰っては大掃除。彼は私以上に掃除が苦手なので、大変だった。リストラに遭った後は、東京に帰りつつ、数ヶ月単位でオーストラリア、西日本、スリランカアメリカ、タイなどに行き、なるべく日本にいないようにしていた。放射能汚染が怖いから。その危険について過小評価する国のあり方に不信感を覚えているから。

 

でも、旅疲れして帰る場所は、決まって彼の元だった。私は彼と一緒にいると素の自分が出せるから心地いいんだと思う。彼は本当は寂しがりやですが、それを全く感じさせない。だから私は長期間、思う存分出かけっぱなしでも罪悪感を感じることはなかった。でもたまに帰ってくれると、喜びを隠し切れんばかりの表情をする彼を愛おしく思い、彼への愛情を再確認する。

 

私は海外や西日本にある美しい場所に行ってきたが、どこへ行っても落ち着かなかった。ここに住みたいと思う場所はいくつもあったけど、現実味がわかず「ここにいてはいけない」という強迫観念さえ覚えた。それはなぜかと考えたら、東京にある拠点が落ち着かないからではないだろうかと思う。

 

いくら理想な場所を遠くに見つけても、最終的に帰る場所(彼がいる東京の部屋)が落ち着かないから、落ち着けない。だったら、彼のいる場所を落ち着く場所にすれば、私はいつでも落ち着きたいときに落ち着ける。だから、私は西日本や海外の拠点を視野に入れつつ、その前提として彼と一緒に落ち着いて暮らせる場所を東京で探している。

 

毎日、新着の物件をチェックしているけど、私の条件が多すぎるのか、予算が低すぎるのか、時期的に物件数が少ないのか、内見したいと思うほどの物件を見つけるのに苦労している。普段は降りない駅に積極的に下車し、知らない街の雰囲気を感じてみることは楽しいけど、選択肢が増えても、結局どこに住みたいのかわからなくなる。

 

「引っ越ししたいのに、どこへ引っ越したいのかわからない」は「食べたいものはたくさんあるのに、何が食べたいかわからない」や「やりたいことはたくさんあるはずなのに、何をしたいかわからない」と似てます。

 

「住みたくない場所に住まない」「食べたくないものは食べない」「やりたくないことはしない」をやってみれば、「住みたい場所が見つかる」「食べたいものが見つかる」「やりたいことが見つかる」はず。

 

今住んでいる場所が嫌だから、ここを出てみる。まずは気になっている街に短期間住んでみることにした。

 

つづく