「やめて」・にげて・はなして。身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私・犯免狂子が精神治療から学んだこと

4歳から父の猥褻・母の体罰が「愛情表現」と教わり、混乱の吐口としてきょうだいに性的・精神的な加害をしていことを治療中に自覚。3つの気づき:①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。③被害を認めて精神治療を初めないと、被害者も「無自覚」のうちに自他を傷つけ加害者になってしまう可能性が高い。精神疾患「複雑性心的外傷後ストレス障害(C-PTSD)」歴35年以上。

【11】シェアハウスに移住、二拠点生活はじまる 

シェアハウスの一室に入居した。

 

結論からいうと、今、最高に幸せな気持ちだ。

 

到着したのは、午後1時過ぎ頃。

 

自室のドアを開けると、太陽の熱で室内がポッカポカだった。

 

重いリュックを備え付けの机に置き、窓を開けた。

 

窓は東と南側にあり、お天道様が見える。🌞

 

陽気に満ちた角部屋は、閑静な住宅街の中にあり、朝は小鳥の囀りが聞こえる。

 

徒歩圏内には、個性豊かな飲食店や高品質な食材を揃えている店が多い。食いしん坊な私は、歩いているだけでワクワクする。実際「楽しい♪」と声に出している自分がいる。

 

広い図書館もある。早速、利用者登録をして本を借りれて嬉しい。

 

ちょうどいい湯加減の銭湯はまだ見つけていないけど、家には浴槽もある。

 

散歩に最適な公園もあり、自分が求めていた環境が揃ってる、夢のような場所だ。

 

ここは私の書斎であり、アトリエであり、充電スポット。

 

実は、15年も前から、ずっと気になっていた物件だったけど、勤労学生だった当時、6万円の家賃は経済的に選択肢としてなかった。

 

家賃3万円代の千代田区にあったシェアハウスに暮らしていたら、今の彼と意気投合し、その彼は今も、私の名義で借りた賃貸に住んでいる。

 

私は定住することはなく、元気な時は国内外を飛び回ってきた。そして再び、東京に戻ってきた。

 

理由を話すと長くなるので、割愛。

 

そして日本に久しぶりに帰ってきた約一年前、この物件を初めて内見。さらに良い印象を受けたけど、入居に至らなかった。その理由を、彼の存在のせいにしていたんだと思う。これも話し出すと長くなるので割愛。

 

そして、初めての内見から1年経とうとしている今、二度目の内見でようやく決意した。

 

なぜ今回決意できたのか。

 

それは、私が自分に「好きなところに住んでもいい」という許可を下せたから。

 

それは実は、彼がずっと言い続けてくれていた言葉だった。でも、私はそれを素直に受け入れられなかった。

 

私はこだわりが強いので、「好きなところ」は、家賃が高過ぎる。こう思っていた。

 

今までの私は、とにかく我慢、我慢、我慢(節約)、が癖になっていた。「他人のため」「経済的な事情」などとなにかと言い訳をして、ワクワクする道を選んでこなかった。

 

例えば、私が引越したら、彼がいる場所から離れてしまう。そしたら、彼のいる部屋の掃除が大変になるし、家賃も2倍になる、などなど。

 

でも、掃除は週一帰って彼氏と一緒にすればいいし、たまには家政婦を雇ってみてもいい。

 

家賃が2倍になっても、今は貯金でどうにか賄えるし、いままで我慢して住んでいた部屋で気が狂うことを考えれば必要な出費。実際、格安ゲストハウスを渡り歩くよりよっぽどコスパもいい。

 

驚いたことに、働くことへのモチベーションさえも湧いてきた。この町に住み続けるためには、いくら必要で、そのためにどんな仕事をしようかと。

 

引越しは、テンションの上がる町で、気のいい部屋が見つかるまで、妥協すな。という言葉を見聞してきた。勇気をもらえた反面、そんな場所、私が住める金額で、東京にあるか???と半信半疑だった。

 

でも、ココがあった。10年前からずっと。場所がなかったのではなく、わたしの自己肯定感の低さが弊害になっていただけだった。

 

できないことは、ない。どうすればいいか、考え、実践。試行錯誤の繰り返し。行動を少しずつすれば、思考も変わり、いずれ思い描いていた以上のことが体験できる。

 

そんな経験をし、私は自分自身に小さな自信を持つことができた。

 

ありがとうございます。