【23】プレ誕生日デート
今日、彼が私の第二拠点のある街に来てくれた。
私が第一拠点から第二拠点に移住してから始めてのことだ。
今も第一拠点に住んでいる彼は、休日は家で引きこもってゲームをしていたい性分。
なので、彼が電車に乗って私に会いに来てくれるのはレアな出来事。
なんで今日来てくれたかというと、私の誕生日が明日だから。
彼は三交替制の仕事をしているので、今日は夜勤明け。明日は家でゆっくりしたいから、私の誕生日の前日である今日、時間を作ってくれた。
私が気に入って住んでいる街に彼が来てくれただけで私は嬉しい。
本来バースデーガールの私がしたいことをするのが筋かもしれないが、私は彼が好きなことをするデートプランを企画した。
私がいる「あの街に行きたいな」とまではいかなくても「また行ってもいいかな」と彼に思ってもらうことが狙いだ。
食べたいものを聞き出し、彼が「天ぷらの盛り合わせが食べたい」と言ったので、この街で一番評価が高い天ぷら専門店に予約を前日に入れた。
駅の改札で落ち合い2人で徒歩5分のところにある店に向かった。歩き慣れてきた道も彼と歩くと新鮮で更に楽しい。
平日の昼なのに、店に着くと「本日は満席」と書かれていた。予約をしておいてよかった。
店内は上品な雰囲気で、カウンター席に案内された。彼は日替わりの定食、私は日替わりより100円高い定食を注文した。100円の価値が気になったので。
香の物、野菜の天ぷらの盛り合わせ、味噌汁、ご飯の順、時差でバラバラに来た。配膳のタイミングがちくはぐだったので、なかなか食事を始められず、ちょっと心配になった。この場合、食べる順に出す:味噌汁→ご飯→天ぷら→お新香、が正解だと思うのだが、気にしない人は気にしないのだろう。自分は気になるタイプだと知った。因みにこちらはコース料理も提供しているので、たまたま何かの手違いをしただけだったのだろう......と思うことにした。
大根、人参、胡瓜のおしんこはいい塩梅。私の定食には、しめじ、イカ、茄子、かぼちゃ、さつまいも、芝海老の天ぷら。彼の、しめじ、茄子、かぼちゃ、さつまいも、ごぼう、才巻海老。私の方が海老の数が多かったからかもしれないが、100円の差は大差なかった印象。
一番手前のしめじは、天ぷらとしては初めて。舞茸や椎茸など肉厚なきのこ類の方が天ぷらには適していると思った。あと南瓜と、さつまいもの量が全体的なバランスから考えると多めだった。量を半分に減らして、代わりに別の野菜を一品増やした方がバランスが良かったと思うが、この価格帯であまり多くは求めてはいけない、と自分に言い聞かせた。
旬の天ぷらもいろいろあった。時価なのか、値段が書いてなかったので、ドシドシ頼む気にはならなかったけど、帆立と白子は追加で頼んだ。帆立は中が半生だったのが、期待通りでよかった。白子は天ぷらとしては初めて。でも、おろしポン酢には敵わないな、と思ってしまった。
総合的に特筆するほど感動しなかった私だけど、彼はこの定食の内容で千円台はお値打ちだねと感心していた。なので、ひとまず作戦成功と、胸を撫で下ろした。
私はどうしても「天ぷら」といえば十代前半の頃、伯父にご馳走してもらった銀座にある老舗の天ぷら専門店で覚えた感動が上回ってしまう。天国のおじちゃん、ありがとう。あの時、食べた鮑の天ぷらの柔らかさは忘れられない。弟が座った席には「クリントン大統領も座ったんだよ」と店主が自慢げに話していたのも覚えている。そんなことを密かに思い出していた。
シルバーグレーのカップル二組が後から入店してきた。
「私達もこう見えて”熟年カップル”だよね」と私は彼の耳元に囁いた。ふたりとも30代だけど、交際歴は12年。
彼「え?そうなの?」
私「は?そうじゃん」
彼「”片思いだ”って言ってたじゃん」
私「あれは私の妄想。片思いも嫌いじゃないんだよね、私」
彼「そうなの?」
私「うん。それに私のこと好きじゃなかったら、わざわざ誕生日を祝わうためにここまで来てくれないでしょう?私、貴方が会いに来てくれただけで幸せ」
普段、私は彼にストレスをぶちまけてばかりで、反省している。もっと彼に感謝をしようと思っていたから、伝えらたかった。
お会計は彼がしてくれた。店を出た後も「天ぷらが千円ちょいで食べられるんだねぇ」と感心しているのを聞きながら私は、彼が満足してくれたことに満足していた。
食事後は、彼が好きそうなスポットを巡った。ゲームセンター、古本屋のゲーム売り場、電気家電店のホビーフロア。
彼はゲームソフト、コンソール、ミニチュアの車、戦艦のプラモ、お城のブロック、ロボット、モンスターのぬいぐるみなどを順々に見て回っていて楽しそうだった。私にはツボがわからないが、彼が楽しそうにしているのを見るだけで楽しい。けど、やっぱり退屈する瞬間はあるので、そういう時は持ち歩いている本の世界に没頭した。
彼が趣味の世界にも満足した後、私の勧めで公園を散歩した。今日は特に寒さを感じる日だったけど、紅葉は私を心から温めてくれた。暖色系の空間にいるだけで、気持ちだけでなく体温も上がるというから、自然とは良くできたものだ。
もみじの葉がまるでレースのようで、昨日たまたまデパートで目に入った老舗ブランドの下着を思い出した。紅葉を彷彿とさせるテラコッタ(またはラスト、バーンドオレンジ)色で、私が大好きな色合いだった。
私「ブラジャーを買う予定なかったんだけど、この紅葉のように美しい色で一瞬、欲しくなっちゃったんだよね、でも買わなかったんだ」
彼「ふーん。買えばいいんじゃないの?」
私「見たい?私の下着姿。」
彼「うーん」
私「え?見たくないの?」
彼「いやー、下着ってまじまじ見るものじゃなくて、チラッと見えちゃうのがいいんだと思うんだよね」
私「なるほどねー。じゃあ、普通のコットンの肌色のパンツと、レースの赤いパンツだったらどっちの方がチラッと見えたら嬉しい?」
彼「どっちでもいいんじゃない」
私「えーそれだと、買うモチベーションが湧かないな」
彼「なんで?」
私「だってアレは魅せる下着だから」
彼「下着は見せないでしょ」
私「ううん。好きな人に見せる前提の”勝負下着”って感じなの。見て、もみじの間から背景が透けて見えるでしょ。あんな感じのレース。普段使いしている人もいるのでしょうけど、私だったらハレの時にしか着けようと思わない類い」
彼「勝負下着?」
私「そうそう。だから貴方が見たいと思わないと意味がないの」
彼「私が?」
私「うん。でもどの道、女性の嗜みとして一着くらいそういう下着を持っていても良いのかなーという気持ちにもなるんだけど」
彼「じゃ、買えば?この前誕生日プレゼントの代わりにお金渡したでしょ」
私「うーん。そうね。でもね、美味しい旬のものをいただくために使った方が幸福感が高いのはわかっているんだよね」
彼「じゃ、買わなくていいんじゃない?」
私「うーん、そうねー」
こうやって会話を振り返ってみると、今の自分には色気がないな〜と思う。十代の頃はそれこそ勝負下着として、母親の下着をこっそり借りて、今考えるとどうでもいいような男どもと肌を重ねた。そういえば、そんな時代もあった。今はそんな男達を何人集めても敵わないほど大好きな彼にみせる下着より、一緒に美味しい物を食べることの方が燃える。それな自分でいい。そんな自分がいい。
でも、そんな色気より食い気の私を振り向かせるほど魅力的に見えた下着なら試着くらいしてみてもいいかもしれない。
公園からカフェに向かった。そこはバスクチーズケーキが売りのカフェ。彼がチーズケーキの中でも特にバスク風が好きなのは織り込み済み。
着いたのは15時前。木曜日の閉店時間は15時半ということだったけど休憩するには十分。開店時間に着いて良かった。しかも店内に客は他に誰もいなくて、貸切状態だった。そんなに広くない店内の4人以上がけの一番大きいテーブル席のソファーに腰をかけ、ブレンド2種とバスチーを2個注文。
彼は夜勤明けだからだろうが、ソファーに座って直ぐ、気持ち良さそうにうたた寝し始めた。
淡く燻んだ青色の壁が醸し出す落ち着いた雰囲気も、コーヒーのコクも、ケーキのホロホロ感も心地よかった。常に人で溢れかえっているこの街で、これほど静かなひと時を過ごせることは希少だ。
奢ってもらってばかりでは気が引けるので、感謝の気持ちを込めて、私がお会計させてもらった。
もうすぐ日が落ちる閉店の頃、ふたりで駅まで歩いて、彼を駅の改札口まで見送った。
彼はあまり表には出さないが、結構さみしがりや。「ひとりで帰るのは寂しいから嫌だ」という口実で、外出をよく断られる。もともと外出をしたくないのもあるだろうけど、本当にひとりの帰り道は寂しいから嫌らしい。だから、夜勤明けなうえ、ただでさえ本当は家でゆっくり過ごしたいのに私に会いに来てくれ、ひとりで自宅に帰るということは、彼からしてみれば、かなり頑張ってくれたことになる。
私がいつものように国内外のどこか遠くに滞在しているわけではなく、ふたりとも都内にいながら、別々の場所に住むことは初めての試みなので、今回のような別れ方をした。
もちろん、私は私の第二拠点に泊まることを彼に勧めたけど、彼は自宅に帰ってゆっくりすることは譲れないということで、その気持ちを尊重した。
早い話、「事実婚なうえ別居婚のような関係」が今の私たちにとって快適な距離感らしい。
もう時刻は23時を過ぎている。数時間前から眠気を感じていたけど、今日一日の記憶が鮮明なうちに綴ておきたいと思って、パソコンに向かっている。
前日から祝うと、誕生日が一日だけのことでなく、期間という感覚として長く楽しめるので、得をした気分。私は誕生日を1ヶ月間祝うと宣言しているので、まだまだお楽しみは続く。
最高に幸せなプレ誕生日祝い、ありがとうございました!